4)モジュールに関してはあまり考慮しておりません。ゼミ選択と科目履修とは区別して考えております。
以上、いくつか気づいた点を書いてみましたが、なお疑問点があるときは、遠慮なくメール(essy59 [at] gmail.com)やtwitter(@massa27)のDMなどで質問してください。噂や怪情報に振り回されるのではなく、自分で動いて情報を取る姿勢が重要です。
参考までに、過去の応募者数と入室試験合格者の推移は次のとおりです。年は面接試験の実施年をあらわします。
2005年:【着任前につきゼミ募集せず】
2006年:【着任前につきゼミ募集せず】
2007年(ゼミ1期生=情コミ3期生)20名入室
一次募集:29名応募(当日2名欠席、受験:男12・女15)→男5・女14
二次募集【募集 1】:2名応募(男1・女1)→女1
2008年(ゼミ2期生)20名入室
一次募集:32名応募(当日4名欠席、受験:男13・女15)→男8・女12
二次募集:実施せず
2009年(ゼミ3期生)20名入室
一次募集:42名応募(全員受験:男19・女23)→男7・女13
二次募集:実施せず
2010年(ゼミ4期生)19名入室(20名中、1名が休学)
一次募集:33名応募(全員受験:男14・女19)→男6・女14
二次募集:実施せず
2011年(ゼミ5期生)20名入室
一次募集:39名応募(全員受験:男18・女21)→男4・女16
二次募集:実施せず
2012年(ゼミ6期生)30名入室 ※この期にかぎりゼミを2クラス開設
一次募集:29名応募(全員受験:男6・女23)→全員入室
二次募集【募集 1】:2名応募(男2)→男1
2013年:【在外研究のため募集せず】
2014年:【在外研究のため募集せず】
2015年(ゼミ7期生)20名入室
一次募集:20名応募(全員受験:男5・女15)→全員入室
二次募集:実施せず
2016年(ゼミ8期生)21名入室
一次募集:22名応募(全員受験:男5・女17)→男5・女13
二次募集【募集 2】:5名応募(男1・女4)→男1・女2
2017年(ゼミ9期生)22名入室
一次募集:21名応募(全員受験:男8・女13)→男6・女10
二次募集【募集 4】:14名応募(男5・女9)→男0・女6
2018年(ゼミ10期生)15名入室
一次募集:13名応募(全員受験:男6・女7)→男6・女7
二次募集:【募集 7】4名応募(男2・女2)→男1・女1
2019年(ゼミ11期生)22名入室
一次募集:24名応募(全員受験:男9・女15)→男6・女12
二次募集:【募集 2】13名応募(男7・女6)→男0・女4
2020年(ゼミ12期生)20名入室
一次募集:23名応募(全員受験:男10・女13)→男5・女11
二次募集:【募集 4】6名応募(男4・女2)→男3・女1
2021年(ゼミ13期生:現4年生)20名入室
一次募集:24名応募(全員受験:男12・女12)→男8・女12
二次募集:実施せず
2022年(ゼミ14期生:現3年生)20名入室
一次募集:28名応募(全員受験:男16・女12)→男10・女10
二次募集:実施せず
江下のtwitterアカウントもあります。質問があれば気軽に尋ねてみてください。
]]> ゼミの目標は「30歳に向けた土台づくり」です。社会人の多くは30歳前後になると「学生時代にもっと勉強しておけばよかった」と悔やみます。社会人になってから日々学ばねばならないことは学生時代よりもはるかに多いからです。そして、社会人になってから「学生時代にもっと勉強を」と思うことのほとんどは一般教養と基礎的な専門知識に属するものです。考えてみれば当然で、実社会では日常的に現実の仕事に取り組むのですから、学生時代に座学で学ぶ「実務的知識」などは一ヶ月程度で消化してしまうでしょう。だからこそ、物事を考えるための基礎力の不足を痛感するのです。
「30歳に向けた土台づくり」のためには「急がば回れ」です。「すぐに役立つ」ことを学んでも基礎力はつきません。そもそも創造とは、「これまで役に立たなかった」ことに新たな価値を付与することに他なりません。時間に余裕のある学生時代にこそ、「すぐには役に立ちそうにない」ことに注力すべきなのです。
そうした観点から、当ゼミではリサーチの実務を重視します。何を数値データかすべきを考え、面倒なことでもデータ化し、調べるべき資料を調べ、基本文献や論文を通じて学んだ原理や法則を用い、さまざまな情報を関連づける。「現場」の観察を通じ、身近な現象からさまざまな「徴候」をデータ化し、分析をもとにして提案に結びつける。リサーチをするうえで、ごくあたりまえのことを地道に積み重ねようと考えています。
大切なことは、リサーチを通じ、ぐぐっても出てこないオリジナルの知識を一つでも獲得することです。ネットで簡単に検索できてしまう程度の知見に、たいした付加価値はありません。本に載っていることも、すでに「周知」の事柄が大半です。もちろん公開された情報をもとに知識を蓄えることは重要ですが、その上で、「ぐぐっても出てこない」オリジナルの知識を得ることが必要なのです。そのためには非常に泥くさく、そして「回り道」をさすらうようにして積み重ねる作業が不可欠なのです。
なお、リサーチの重要さについては、以前、twitterでつぶやいた内容を、ゼミ生の一人がまとめてくれました。そちらをぜひ参考にしてください。
2016・2017年度、当ゼミではユース・サブカルチャーズとメディアの関係を題材に演習を進めてきました。なかでもメディアとしての雑誌の機能に注目し、「雑誌を研究する」「雑誌で研究する」ことを目指してきました。2018年度以降はこの方向性をさらに拡張し、メディア史にもとづく情報環境の〈いま・ここ〉の研究を進めました。2020年度には、メディア史的なテーマのなかでも放送と雑誌が果たした役割に注目しました。2021年度には2020年度の方向性を踏まえながらも広告を、2022年度は「モバイル前夜」を、現在進行中の2023年度は「雑誌と映像メディア」を重点分野にしました。そして......
2024年度の重点分野は「メディアをデータサイエンスする」です。
データサイエンスという言葉はすでにご存じだと思います。簡単にいえば、分析ツールを使ってデータを処理することを通じて、さまざまな現象を解析することです。なぜメディア研究でデータサイエンスなのか? メディアを理解するには、メディアがどう使われているのかを把握しなければなりません。マスメディアと電話がメディアの主役だった時代は、テレビの視聴率、CDの販売枚数、電話の通話時間等を細かく調べれば、メディアの利用状況はかなり把握できました。ところがご存じのとおり、時代はすでにネットとスマホが主役です。音楽の流行はCDの売れ行きではわかりません。SpotifyやYouTubeでの再生回数や「いいね」の数、SNSでのトレンドの方がむしろ流行の現在形を伝えてくれます。
では、どうすれば再生回数や「いいね」の状況を把握できるのでしょうか? じつは我々がネットを利用すると、その「痕跡」がネットに残ります。それが蓄積されてビッグデータとなります。そして多くのビッグデータは一定の手続きを踏まえればアクセスでき、データ解析ができるのです。どのような解析が実際にできるのかを知りたい人は、「こちら徒然研究室(仮称)」というサイトを見てみてください。ここは広告代理店でリサーチの仕事をしている江下の知人が個人的に運営しているサイトです。
https://note.com/tsurezure_cat/
メディアで起きている現象を理解するには、もはやデータサイエンスは不可欠なツールとなりつつあります。もちろん、ツールは数字を出してくれるだけですので、その意味を解釈するにはメディアや消費行動の基礎的な理論を知っておく必要があります。当ゼミでは、従来の基礎理論を習得に加え、変化や徴候を数字で説明するためにデータサイエンスの手法を身につけるようにしたいと思います。これが「データサイエンスする」の意味です。
では、データサイエンスの手法とは? それはプログラミングを学ぶこととイコールではありません。もちろん近年のデータサイエンスではPythonという言語が頻繁に用いられており、これを習得できれば非常に強力な手段を身につけたことになります。また、Python自体は比較的学びやすい言語です。しかし、データ解析はExcelでもできることはいくらでもあります。そもそもPythonもExcelもツールにすぎません。重要なことは、リサーチでは数値データを加工することが不可欠であることを体得し、なにかの問題解決の際に、どういう数値データを作る必要があるかを考えることです。そして、出てきたデータをちゃんと解釈できることです。データの解釈はプログラミングでは学べません。
もちろんなかには「せっかくデータサイエンスをやるのならPythonを多少使えるようになりたい」と考える人もいるでしょう。グループワークを進めるうえで、一人ぐらいは強力なツールを使えるメンバーがいたほうが効果的であることは間違いありません。そこで当ゼミでは、2023年度からゼミの時間帯とは別に「データサイエンス勉強会」を実施しています。これは「Pythonを学びたい」と希望するゼミ生が自主参加する講習会です。ここで使っているテキストは希望者に提供しています。
かつての当ゼミでは、かなり幅広いテーマから題材を集めてリサーチの実務を進めておりましたが、2016年度以降は、メディア史というテーマにこだわりをもった活動をするようにしています。そして今回は、そこにデータサイエンスという手法を結びつけました。「データサイエンスを通じてメディアの何を理解したいのか?」という問を、みなさんのなかでよくよく自問してみてください。
学生がリサーチの実務を学ぶうえで、これが最も取り組みやすく、かつ情コミ学生として状況を十分に把握すべきテーマであると考えました。このようなことに関心を持ち、自分の身近な出来事をリサーチし、自分なりの発見をしてみたいと思う学生を歓迎します。
かなり欲張った目標を掲げるゼミですので、日ごろの活動はハードです。3年ゼミに関しては、4科目分ぐらいの負担があると思ってください。どのぐらいハードなのかは、このサイトで公開している活動記録を読めばわかると思います。回によっては5時間以上も演習をおこなう日もあります。無駄に時間をついやすつもりは毛頭ありませんが、ある程度の量をこなすには、どうしても相応の時間が必要なのです。当然、向き不向きがありますので、ゼミ活動に対する自分のニーズと適合するかどうかを十分に検討してください。
ハードな内容にするのには二つの理由があります。
第一に、情コミ学生の多くは3年生になると学習モチベーションが上がります。キャンパスが変わって(といっても、2020年度はキャンパスに立ち入れない日々でしたが...)気分が一新される。それ以上に、1・2年生のうちは高校の延長のような科目が多かったのに対し、3年になると専門科目が中心になることが大きいように思います。専門科目に接することで大学生の「気分」を実感できることは事実でしょう。モチベーションが高いうちに、がんがん鍛えた方が効果的に決まっています。ですから、3年ゼミでは欲張れるだけ欲張ろうと考えているわけです。
第二に、就活の問題があります。3年生の夏休みはインターンシップに、4年生の春学期は否応なく学生は就活に時間を取られてしまいます。そういうことを前提にしたゼミ活動を進めねばなりません。ならば、その分を3年生、とりわけ春学期のうちにやっておいたほうが合理的でしょう。それは同時に、就活前に自分の強みや関心を再確認することにもつながります。要するに当ゼミは、本来なら2年間かけてやるべきことを、3年生のうちにやってしまおうとしているわけです。ちなみに、4年ゼミは学生の自主的活動の時間としております。
以上が当ゼミの基本的な考え方です。データサイエンスということの実践を学んでメディアの基礎をしっかりと理解したい、リサーチ実務を習得することを通じて自分の「ひきだし」を増やしたい人は、ぜひ挑戦してください。こだわりを持ってなにかに打ち込むことが好きな人は大歓迎です。
ゼミの日常的な活動はほとんどがグループワークです。そのため、当ゼミではいろいろなタイプの学生に集まってもらいたいと考えております。リーダーシップのある学生も歓迎しますが、全員がリーダーである必要はありません。聞き上手な人、裏方仕事が苦でない人、渉外が得意な人、いろいろなキャラクターで形成されたチームを編成したいと考えています。実際、コミュニケーションが苦手なメンバーが加わることで、むしろ全体の結束力が高まることがあります。当ゼミの活動で重要なことは、「お互いに長所を活かしながら、メディアとデータサイエンスの勉強をしたい」という「あなた」自身の意欲です。
ゼミ活動を進めるにあたり、かならず了解しておいてほしいことがあります。
1)Slack を連絡用プラットフォームに用いる。
2)場合によってはゼミの終了が20時過ぎになっても問題がない。
3)夏のゼミ合宿(メディア研究インカレ原村2024)が実施されるときは参加する。
ただし、部活の都合により、たとえば月に一度は4限終了後に帰らねばならない、というようなケースにも柔軟に対応しております。不都合があれば遠慮なく相談に来てください。
従来のゼミ合宿は長野県の原村で実施しておりました。当ゼミの夏合宿はインカレ形式のメディア研究会(2019年度は5大学から89名が参加)であり、ゼミ活動の重要な要素となっています。2020年度は新型コロナウイルス対策のため原村での実施は中止しましたが、そのかわりに3大学4ゼミの68名で Zoom によるワークショップを実施しました。2021年度・2022年度も残念ながら実施できませんでしたが、そのかわり11月にゼミ内のプレゼン大会を実施しました。広告代理店やアニメ企画制作会社で活躍するゼミ卒業生たちに審査員をお願いしました。そして2023年度は2大学2ゼミの規模でなんとか復活できました。2024年度の規模は未定ですが、引き続き実施したいと考えています。
以上
]]>日時:2023年 6月 20日(火)15:20-18:50
会場:リバティータワー1141教室
参加者:17名
江下、許田G(名)、阿部G(名)、内山G(名)、福井G(名)
欠席者:4名
遅刻者:2名
早退者:2名
【補足事項】
集団就職をした人たちはほとんど地方出身の人たちであり、都市化が進んでいた時代に集団で都市に出向き、そこで各々の就職先に散るという形をとった。当時は非常に重宝され、「金の卵」とも呼ばれた。ティーンエイジャーの社会人にとって、映画館は大事な息抜きの一つであり、それはスターに会いにいく場所でもあった。また、ティーンエイジャーの社会人は貸本屋のコアな需要層でもあり、歌声喫茶(今でいうカラオケのある喫茶店)という場所でみんなで歌を歌って楽しんだ人たちでもあった。そこでは同じ地方の出身者同士が集まり、地元の話や好きなスターの話をする。集団就職があった時代にはそのようなメディア環境があった。そして、今はほとんどが地方にあるが、70年代の前半ごろまでは工場が街中にあり、そのような中小企業の工場のある街として特に有名だったのが大森と蒲田である。そういった油臭さが普通に街中にあった時代だった。
(2)阿部グループ
・発表者:南
・課題本:『ゲームセンター文化論』(加藤裕康、2011)
・発表範囲:第四章「イラスト・ノート」、第五章「快適な居場所とするための戦略」
[概要]
第四章
ゲームセンターに集う若者たちの事例を通して、イラスト・ノートにおいてイラストがどのような役割を果たしているのかを検討し、若者のコミュニケーションの一端を呈示する。
第五章
コミュニケーション・ノートは、不特定多数に公開されるが故に落書きや誹謗中傷が書き込まれ、荒らされることもしばしばある。そういった、落書きや誹謗中傷の増減の要因、それとイラストの関係について着目する。若者たちはイラストを記す中でヘゲモニー(主導権、合意形成)を獲得しつつ、人間関係を形成していくように思われる。
【補足事項】
ゲームを作る上で「世界観」をどうやって作るのかということが重要であり、まずその世界観を設定し、その後に流れや個々のキャラクターの詳細が決められる。このような場合、大体はゼロから作られるのではなく、神話に基づいている。自己承認の話などで居場所という切り口が重要になっていたが、一般にある集団の中でここが自分の居場所だと感じる時は、つまり社会学的な用語で言うと集団内で自分の役割の獲得が達成された時であると言える。そこでの他者とのやりとりが規定され、そこでスムーズにコミュニケーションができるということでもある。また、ある地位を獲得してあるポジションを把握することができることでその集団の一員となっていることを感じることができる。ノート上では、書く人が権威性を持ち、また書くだけではなくてそれが読まれることで初めてその権威性が確立される。
(3)内山グループ
・発表者:西山
・課題本:『大河ドラマの黄金時代』(春日太一、2021)
・発表範囲:第四章「金曜時代劇の冒険」
[概要]
NHKには大河ドラマとは別の金曜時代劇、後の水曜時代劇のレギュラー枠があった。そこではより自由な制作が行われ、新人抜擢や演出の方法をとったりと従来の時代劇にとらわれない作品が制作された。
【補足事項】
1970年代まではプロレスが人気で、ピークは60年代であり、その人気はプロ野球をも越えていた。プロレスの実況中継は一定以上の視聴率を取ることができる番組であった。時代ごとに人気なスポーツは違い、相撲、野球、サッカーなどのメジャーなスポーツであってもそこには浮き沈みがあり、コンスタントに人気を得ているスポーツはないに等しい。また、浮き沈みがあったスポーツとしてプロレスと並んでボーリングも挙げることができる。その時期人気のあったプロスポーツのスター選手は広告塔としての重要な役割を果たした。
この当時の時代劇は映像が残っていないため、その研究は少ない。
(4)許田グループ
・発表者:鈴木
・課題本:『ビデオのメディア論』(永田大輔/近藤和都/溝尻真也/飯田豊、2022)
・発表範囲:第二章「ビデオにおける「教育の場」と「見ること」」
[概要]
ビデオは初期には一般社会に普及していなかったが、それを普及させるにおいて教育現場での規模を満たすことが重要視された。ビデオを教育現場に導入することで教育水準の向上などの利点もある反面、導入するためにはまだ課題があったが、これらは規格統一により解決された。また一般家庭に普及させることも大きな課題であったが、使いやすいことと初期についた性的なイメージの払拭などの複雑な過程を経て、一般社会に浸透していった。
【補足事項】
当時は、ビデオデッキは気軽に買えるものではなく、店でそれらを買うときにアダルトビデオをおまけにつけることで、買い物の主導権を握っていたお父さんの購入を誘った。スクリーン向けのポルノ映画も修正が加えられていない状態で日本に入ってきたが、正規ルートとは別に、暴力団がそれらの無修正ビデオを作って売っていた「裏ビデオ」というものがあった。孫コピーやひ孫コピーのビデオもおまけとして流通しており、レンタルビデオ市場がなかった時は売り切りの形を取っていたという前提があったため、コピーであってもおまけとしてついてくることはセールス力があった。
教育教材としては、航空業界は早い段階から映像を導入していた。着物の着付けや、一般の学校においても視聴覚教育が広がっていった。
2 反省
特になし
作成:細野
編集:内山
日時:2023年6月13日(火)15:20-18:50
会場:リバティータワー1141教室
参加者:15名
江下、許田G(4名)、阿部G(3名)、内山G(4名)、福井G(4名)
欠席者:5名
遅刻者:0名
早退者:3名
【補足事項】
Q,みんなの家では大河ドラマを見ている人はいるか。
A,知っているが見ている人はほとんどいない。
大河ドラマは重要な存在である。理由は一年間放送しているから。だから役者は時間を大きく割かれる。特に主役。にもかかわらず主役のオファーを断る人はほとんどいない。一年間ほかのドラマに出られないとしてもその分のメリットがる。また、主役に選ばれることは1流の役者として認められたことを意味する。ドラマは制作のコストや役者のスケジュール的に3か月で終わる。しかし大河ドラマは一年間やる。これは民法では絶対にできない。NHKは日本全国で見られるから朝ドラと大河ドラマに出演するということは全国民の目に多く触れるというメリットがある。このように大河ドラマと朝ドラはほかのドラマとは違う性質がある。
子役に人気が出て困った俳優がいた。期間が長いから主人公の人生を描くことができる。だから通常は子供時代は子役が演じる。子役に人気が出ることは問題である。それは子役に人気が出ると大人時代の役者にブーイングが起きるからだ。これが子役を使う難しい問題である。だから最近の朝ドラでは子役の出演期間を短くしたりしている。
大河ドラマは影響力が大きいから撮影地や出生地があやかって地域を盛り上げる。
映像づくりにおいて機材の制約が大きい。しかしハンディカメラでは役者の動きに合わせて撮影をすることができる。最近ではドローンなどが新たな撮影方法として台頭している。
(2)許田グループ(1班)
・発表者:石田
・課題本:『ビデオのメディア論』(2022)
・発表範囲:第一章
[概要]
当初は「テレビ」との区別がほとんどなかった「ビデオ」という言葉が、次第に電子映像の録画・再生技術のことを意味するようになり、やがて、テレビとはことなるニューメディアとして認知されていくまでの過程を論じていく。
【補足事項】
VTRが最初に出てきたのは業務用である(放送用)。映像を記録するために出てきたが、業務用VTRは非常に高価であった。そのため、一度放送し終えたテープを再利用していた。これは悲劇的である。なぜなら初期の営巣が残っていないからである(朝ドラや大河ドラマ)。当時は再放送などの概念がなかったためテープに当時の映像はほとんど残っていない。だから現在のドラマ研究に支障がある。また編集用機材の影響も見られる。編集の高低を考えるとVTRは画期的である。具体的にはカットやはめ込みを可能にした。
リニア編集とノンリニア編集。リニア編集は頭から順番に映像を作るのがリニア編集。これは途中で失敗すると最初からになりかねない。しかしノンリニア編集はどの段階からでも編集でき、映像ライブラリ(素材)を作っておいてそこから使うなどと、わざわざロケに行かなくてもよくなる。さらにCGの技術も加わると映像の幅が広がる。こういった製作技術の発展が今のドラマにつながる。
(3)福井グループ(4班)
・発表者:福田
・課題本:『日本流行歌変遷史』(2008)
・発表範囲:第二章、一節二節三節
[概要]
敗戦による影響は、歌謡曲にも及んだ。そのような中で、新たなスターや、戦前には流行しなかったタイプの曲が多く生まれ、人々の支持を得た。
朝鮮戦争がもたらした好景気の様子が、曲でも表現された。紅白歌合戦も始まり、様々なジャンルの曲もヒットした。また、昭和28年には、テレビ放送もスタートした。
【補足事項】
戦争によってエンタメは一時断絶、戦争終了後に復活。
余談:紅白歌合戦は音楽の歴史を見るときに重要なネタになる。何十年も継続に放送されている、放送日が決まっている、などから分析を考えることができる。
背筋を伸ばすときは背骨を使って下から上に突き上げる。自分の体をハンガーのように。胸を張ると腰を痛める。
大学三年生の夏のころ先生は2か月だけジャズダンスをしていた。当時の中目黒のスタジオが水没し、やめてしまった。発表に関してはカンニングは堂々としてよい。「ここは正確に伝える必要があるので、、」などのセリフと共に。
(4)阿部グループ(2班)
・発表者:細野
・課題本:『ゲームセンター文化論』(2011)
・発表範囲:第二章、第三章
[概要]
本章では、ゲームセンター文化の生成を、ゲームセンター空間の変容とビデオゲームのコミュニケーション、コミュニーケーション・ノートの設置の観点から、若者のコミュニケーションや社会背景を探っていく中でその検証を試みる。
本章では、コミュニケーション・ノートに書かれた若者たちの「声」の内容を分析するこ
とで、若者のコミュニケーションのあり方と、その社会背景を探る。
【補足事項】
ゲームセンターでプレイを観戦することが起きるのはストリートスポーツを観戦するのと同じなのではないか。その場で表現する人がいて観戦する人がいて技を見せると観客がわく。そういった雰囲気が似ている。
常連という言葉が出てきたが、今回のコミュニケーションの場ではどういった形でマナーが決まるのか。通常は常連が決める。しかしそれが行き過ぎると新入りの排除が起きる。Twitterのリプライにおいて「FF外から失礼します。」のように。雑多の空間においてマナーを決めるのは常連が決めるというのが普通である。
文体や表現面での特徴がコミュニケーションノートに表れる。通常は常連の表現をまねる。書き方や、言葉遣いなど。
自我や自己解放の場というのは古典的なコミュニケーション論においてでてくるものである。
2 原村の研究内容の考案
内容を考えるのに必要なのは二つ。一つ目は面接において何をやってきたかこたえられるものにする。二つ目はこれまでやってきた映像の範囲を絡める。
ブレーンストーミング4原則
1, 質より量 2,アイデアを批判しない 3,何でもありの自由 4,便乗OK
行き詰った際の解決策
1,出てきた内容を検索したりして関連を増やす。アウトプットが減ったらインプットを増やす。
2, 出てきた内容を整理する。
数が出たら情報を収束しまとまった内容の文章化を考えることでアイデアを出す過程で何を知りたいかが明確化する。そうしたら文章を書く。
3 反省
今回スピーチそのものの先生からの指摘を多くいただいた。具体的には目線や手の動かし方、話すスピードなどを考慮する必要がある。
作成:西薗
編集:阿部
日時:2023年6月6日(火)15:20-18:50
会場:リバティータワー1141教室
参加者:14名
江下、許田G(3名)、阿部G(3名)、内山G(4名)、福井G(4名)
欠席者:6名
遅刻者:0名
早退者:2名
「第1章」
1970年代にビデオゲームが登場し、特にインベーダーゲームはそれを目的としたカツアゲなどが起こりゲームセンターの印象を悪くした。さらに家庭用ゲーム機のファミコンが大成功した中でビデオゲームに対する批判が起こる。悪影響論を支持する研究も行われたがそれらは悪影響を前提として調査されたもので信ぴょう性に欠ける部分があった。一方でビデオゲームを主体的な新しいメディアとする研究も現れ、ビデオゲームは人々にどのような影響を与えるのか考察していく。
【質疑応答】
質問1:「1970年代の高校生をどのように想像するか」(江下先生から)
回答:チャラチャラしているイメージ ※補足1参照
質問2:「コミュニケーションノートのようなものの例」(江下先生から)
回答:原爆ドーム、アイドルのグッズ売り場、温泉地
【補足事項】
補足1:大阪万博、70年代の高校野球・オリンピックが想像する手掛かりになる。
補足2:ゲーム悪影響論⇒相関関係と因果関係が区別されていないケースがある。
(2)内山グループ(3班)
・発表者:池村、西岡
・課題本:春日太一『大河ドラマの黄金時代』(2021)
・発表範囲:第1章『大河ドラマの誕生』、第2章『試行錯誤』
【概要】
第1章
映画に対して活気のないドラマを変えるべく長澤泰治は大河ドラマを始動する。しかしスターの出演拒否や過密スケジュールの管理など課題は多くあった。粘り強い交渉や効率化により成功をおさめ、1作で終わると思われた大河ドラマは翌年も続いていく。
第2章
『花の生涯』、『赤穂浪士』のヒットにより、大型娯楽時代劇は「大河ドラマ」にレギュラー昇格し、その後も制作が続いた。キャスティングの工夫や完全オリジナルの原作など新たな試みをするも、体制が整備されない中での撮影は苦難が続き、プロデューサーや演出家たちは模索しながら必死に作品を作り上げていった。
【補足事項】
急に出てきたコンテンツに対して、制作者や役者は参加をためらうことが多い。(格下のコンテンツだと思われやすいため。)
(3)許田グループ(1班)
・発表者:許田
・課題本:永田大輔、近藤和都、溝尻真也、飯田豊『ビデオのメディア論』(2022)
・発表範囲:序章『ビデオのメディア論に向けて』
【概要】
コロナ禍によって顕著になった、「学習の道具」や「娯楽」として映像に関わることについて、ビデオの発展を背景に持つメディア論/メディア史的な考察を行う。ビデオへの着目は既存の学問領域を超えた文化記述を示すことが可能である一方で、その多様さが故にひとつの研究体系にまとまらなかったという側面もある。ビデオカメラの発展は、ビデオの映像文化へ貢献した。
【補足事項】
ビデオレコーダーというハードウェアは日本のメーカーにとってシンボル的なものであった。カラーテレビでようやくメイドインジャパンの品質が上がり、ブランディング力が問われた。家庭用ホームビデオの開発が成功した(ソニーのVCRなど)。VTRは日本の製品が成功したことの象徴であった。ビクターが2時間録画できるものを開発し、アメリカでヒットした。
(4)福井グループ(4班)
・発表者:藤原、福井
・課題本:菊池清磨『日本流行歌変遷史』(2008)
・発表範囲:第一部『歌謡曲が美しかった時代』第1節『歌謡曲の誕生』、第2節『SP レコード歌謡の隆盛-各社ヒット競争』、第3節『昭和SPレコードの花盛り』、第4章『戦争と歌謡曲』
【概要】
第1節
大正から昭和にかけての録音技術の発展とそれにともなう流行歌の変遷について。
第2節
モダニズムの栄枯と藤山一郎、東海林太郎、古賀政男の活躍について。
第3節
古関裕而「軍歌の覇王」と呼ばれた。代表曲『神風特攻隊の歌』『オリンピック・マーチ』など。軍国歌謡に対する見方は二通りある。軍歌と軍国歌謡は完全に区別され、戦争責任は問われないとする考え方と、軍歌と流行歌が重なったものなのである程度の責任は問われるべきとする考え方。古関の歌は練習生の気持ちを汲み取った歌が特徴だが、人々の戦意高揚の効果も否定はできない。
第4章
「軍国歌謡は軍歌と完全に区別されるべきだと思うか?また、軍国歌謡を作曲することは戦争責任を問われる行為だと思うか?」
【補足事項】
補足1:「はやりうた」、「はやり唄」等の違いに留意する。
補足2:「ジャズソング」と「ジャズ」は違う。「ジャズソング」=当時日本に入ってきた洋楽
補足3:昭和10年前後がどういった時代なのか?というイメージを持つことが大切。
当時をイメージするためのヒント⇒「装苑」の創刊が昭和11年。モボ・モガが登場するような余裕が都市部にはまだあった。これまでは軍国歌謡をエンタメとして楽しめたのではないか。軍国の雰囲気が変わったのは昭和14年であった。
2 反省
形式もテーマも新しくなったため、より活発な議論や質疑応答が行われるようになったら良いと思った。
作成:南
編集:内山
日時:2023年5月23日(火)15:20-18:50
会場:リバティータワー1141教室
参加者:17名
江下、許田G(3名)、阿部G(5名)、内山G(4名)、福井G(5名)
欠席者:3名
遅刻者:1名
早退者:0名
【質疑応答】
なし
【演習】
なし
【補足事項】
ギミック映画は映画の見世物としての原点であり映画史の基本である。物語を黙って消化するのは映画の誕生から少し後最初は興行師がやる色々な映像の仕掛けが幻竜であった。映画というのは画面に映っているのを見る時代があまりにも長く今後このような原点回帰が起こりうる可能性がある。
(2)福井グループ(4班)
・発表者:竹内
・課題本:ダニエル・バード『ビデオランド レンタルビデオともうひとつのアメリ
カ映画史』(2021)
・発表範囲:第2部『ビデオストアと映画文化のローカル化』の第5章『価値の配給』
【概要】
ビデオの配給業社について、大規模な配給業社は映画文化を消費文化として扱い、最新
のものに価値を見出すことで大量生産的な価値観を持っている。それに対して小規模の配給業社は映画を芸術として捉え、独自性を持つことで学問的な分野と共通する考えを持つ。ビデオ商品が安価なものとなってしまったことやインターネットの普及に伴いレンタルビデオの分野では変化が強いられている。
【質疑応答】
なし
【演習】
なし
【補足事項】
一般的な問題としてコンテンツのエコシステムをどうするか。ゲーム市場が充実するためには対策ゲームよりクソゲーが必要である。クソゲーがいっぱいあることによって子供にとってゲームの取っ掛かりの良さの幅が広がる。これを映画業界にも当てはまり、大作映画は映画界を盛り上げる役割を持つ一方でそうでない映画も市場を充実させるために必要。
(3)阿部グループ(2班)
・発表者:西薗
・課題本:稲田豊史『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ コンテンツ消費の現在形』(2022)
・発表範囲:第5章『無関心なお客様たち』
【概要】
新たな消費の形であるリキッド消費の高まりにより制作者側はビジネスを再考しなけれ
ばならない。映像を見ることはどんどん「楽」になり「場所的・時間的・物理的・金銭的
制約」が取り除かれた。
【質疑応答】
なし
【演習】
なし
【補足事項】
倍速視聴に対する素朴な疑問としてなぜ一時間の尺の映画を作らないのか。現在の映画やドラマの尺は明確で合理的な理由があるわけではない。だからこそ倍速視聴する層がいることを知ったうえで脚本などを一時間分の映画に合わせて作ればいいのではないか。
(4)内山グループ(3班)
・発表者:内山
・課題本:北野圭介『新版 ハリウッド100年史講義 夢の工場から夢の王国へ』(2017)
・発表範囲:第7章 『デジタル技術の浸透と地球規模の大域化』
【概要】
ハリウッドの映画は大域化し、多くの意味でダイナミックな流動状態に入った。映画作り
のベクトルや流通のネットワークは枝分かれし発展している。さらにデジタル技術が映像表現に取り込まれ、技法や物語なども多彩化していった。
【質疑応答】
なし
【演習】
なし
【補足事項】
ハリウッドは大作映画だけではない。大ヒットをもくろむ映画は10代をターゲット層に選ぶ傾向が高い。10代は適応能力が高く色々な国でヒットしやすい。そのジャンルとしては特にアドベンチャー作品である。メガピクチャーは様々な国で売れる映画を指し、韓国の映画市場はこれを目指している。一方ナショナル映画は国内で人気を目指す映画で日本のアニメ映画などが挙げられる。実験が出来る懐があるかどうかがコンテンツビジネスでは重要になってくる。
2 反省
時短の都合上どうしても質疑応答や議論が前回と比較して少なかった。
作成:小林
編集:阿部
日時:2023年5月16日(火)15:20-18:50
会場:リバティータワー1141教室
参加者:17名
江下、許田G(3名)、阿部G(4名)、内山G(4名)、福井G(5名)
欠席者:2名
遅刻者:1名
早退者:1名
【質疑応答】
特になし。
【演習】
Q.「インテリアにこだわりを感じる店とそのこだわりの詳細について考察せよ。」
許田G:ゴンチャ 「椅子をなくすことで回転率を意識し、壁などにおしゃれな加工を施し
栄えを狙った客層を狙っている。」
阿部G:俺の○○ 「立ち食いを前提とした構造で椅子をなくすことで回転率を上げる。」
内山G:スターバックスコーヒー 「ソファーなどで居心地を高めている。」
福井G:トグルホテル 「意図的に室内を二色で構成させて印象付けている。」
A.(江下先生の回答)
グループワークでは具体的な答えが浮かばなくても、共通するイメージを持たせてから考えることで答えを探していくのが定石である今回の場合こだわりなのか、集客のためのものなのかどうかがあやふやになってしまった。こういったアイデアが思い浮かばない場合はネットやチャットGTPなどを駆使し、きっかけを作るべきである。
【補足事項】
砂漠のど真ん中に人が来る仕掛けを作った事例としてラスベガスが挙げられる。ラスベガスはカジノ、ホテルなどのレジャー施設を作ったことで、観光資源を人工的に作り出し砂漠のど真ん中へ集客した。
また人の多いところを利用すると地価などのコストが大きくかかり、その分のコストを回収できるくらいの集客力が必要になる。しかし人の少ないところならコストは低いが集客が大変。よってその分店が目的で足を運ぶ人ができる魅力を作る必要がある。
以上の点から何かの施設と抱き合わせで商売することが最も簡単であり「何と合わせるといいか」、「何と合わせてはいけないか」を考えることが肝要になる。
(2)許田グループ(1班)
・発表者:許田、小田中
・課題本:柳下毅一郎『興行師たちの映画史 エクスプロイテーション・フィルム全史』(2018)
・発表範囲:第6章『セクスプロイテーション映画の隆盛』、第7章『人種向け映画』
【概要】
第6章
人間の最も基本的な欲望であるセックスは見世物としての集客力も高かった。当時の映画人たちは、様々な工夫を凝らして映画の中で合法的に過激な映像を見せることに力を入れ、いくつかの映画が成功を収めた。
第7章第1節、第2節
観客の特定の欲望を満たそうとするエクスプロイテーション映画の、もっともわかりやすいかたちのひとつが人種向け映画である。人種向け映画とは、あるひとつの人種集団に向けて作られる娯楽映画のことである。このような映画が作られるためには、多民族国家であること、特定人種だけでも採算がとれるほどに映画が成熟した娯楽であることという二つの条件がある。したがって、人種向け映画は市場を成立させられるだけの巨大な少数民族が存在するアメリカでしか生まれなかった。
第7章第3節
米国における最大かつ最重要のマイノリティはつねに黒人である。黒人映画はアメリカ映画氏の最初期から存在した。有色人種専門劇場の多くは人種差別の激しい地域にあった。したがって差別の激しい地ほど黒人映画が広く見られていたのだ。トーキー化による設備投資や製作コストの増大にしたがって黒人の製作する映画や劇場は激減し、30年代以降はもっぱらエクスプロイテーション映画界の人間たちが黒人向け映画を仕切るようになった。
【質疑応答】
質問1:「性的な内容の間接的な表現とはモザイクのような表現なのか、それとも伝聞のような手段を用いられていたのか?」
回答:本に記載なし。
【演習】
Q.「セクスプロイテーション映画や出演俳優は一般的な映画よりも演技的な面などから下に見られることが多いが、現代にも一般的な映画の濡れ場などに出演する女優はその女優のキャリアにとって何がメリットで何がデメリットになるか。」
許田G;メリットの方が大きい「際どく、難しいシーンであるがゆえに優れた演技力の才能
などが発掘しやすいのだろうと思う。本人の意思が最優先。」
阿部G:両方ある「演技の幅が広がっていくというメリットがある一方で、呼ばれない場所
が増えてしまうのではないかというデメリットがある。」
内山G:両方ある「プラスは新たなジャンルで新しい層を掴める。マイナスはイメージダウン」
福井G:デメリットの方が多い「イメージダウンや、獲得できなくなってくる層(若年層)
が出てくると思われる。」
A.(江下先生の回答)
上記で挙げられた生徒の意見が一般的である。濡れ場女優から大女優へと登った最たる例はマリリンモンローであったがマリリンモンローも脱ぐ女優というイメージを払拭することに苦労した。ジェーンフォンダやブリジットバルトは脱いだことがマイナスのレッテルにならなかったようにマイナスになるとは限らない。ただキャリア後半に脱ぐことは落ちぶれてしまったというイメージにつながる傾向が強い。そもそも最近は脱ぐという演技の要素が特別変わったものではなくなってきている。
【補足事項】
ヌードと儲かりゃよかれ主義とは密接な関係がある。このようなニッチなジャンルでも、『ディープスロート』などのように歴史に名を残す作品もあった。そうは言ってもやはりかなり局所的なジャンルである。
(3)内山グループ(3班)
・発表者:西山
・課題本:北野圭介『新版ハリウッド100年史講義 夢の工場から夢の王国へ』(2017)
・発表範囲:第6章『世界が舞台、拡大するハリウッド映画』
【概要】
テレビやビデオデッキの普及はハリウッド映画のさらなるビジネス展開を助けていった。映画の2次利用、3次利用を始めたハリウッドは更なる資金、観客を手に入れ、ますます巨大なものになっていった。そしてハリウッドはよりグローバル化していき、様々な人種の監督の登場や手法とともにさらに成長を遂げていった。
【質疑応答】
特になし。
【演習】
Q.「レニーリーフェンシュタール、ソフィアコッポラ、蜷川実花、河瀨直美について各班調べよ。」
許田G:河瀨直美
「東京オリンピック公式映画の総監督および大阪万博のプロデューサーを兼任している。
リアリティを追求し、ドキュメンタリーを多く取る。カンヌのカメラドール新人賞を最年少
記録で獲得。その後欧米で受ける作品を多く製作し、数多の賞を受賞している。」
阿部G:蜷川実花
「国際的な写真家、演出家の蜷川幸雄の娘、ビビットな作風が特徴的。代表作にはヘルター
スケルターなどが挙げられる。東京オリンピック、パラリンピックの委員を務めており、ゆ
ずやAKBの演出を担当したこともある。」
内山G:レニーリーフェンシュタール
「女優後に監督になった。倫理観の欠如、典型的なナルシスト気質であったがヒトラーに信
用され、ベルリンオリンピックの再現ドキュメンタリーを撮影した。この撮影では独創的な
カメラワークが多用され、後世の映画に影響を与えた。」
福井G:ソフィアコッポラ
「演技があまり好評でなく、女優ではなく制作側に立つことになる。27歳で監督デビュー
し、『ロストイントランスレーション』でアカデミー賞を受賞。現在もハリウッドを代表す
る監督である。」
A.(江下先生の回答)
河瀨直美も蜷川実花も両方元写真家でカンヌに出展。また父が著名な業界人であることが共通している。日本の映画監督では世界に通用する著名なヨーロッパの国際カンヌ、ヴェネチア、ベルリンの三大映画賞を受賞することが大きな目標になっている。
逆にアカデミー賞はそれらと比べて国際映画祭ではないため、アメリカ映画のローカル映画祭であることが大きな違いである。また『パラサイト』に代表されるように韓国映画業界はアカデミー進出を大きく見据えている。
日本映画で売り上げを上げているのは基本アニメや特撮物。物語系映画は売り上げよりも内容性を重視するため、フランス映画に近しい。逆にハリウッドは売り上げ重視的な特徴がある。
ソフィアコッポラは映画監督兼映画プロデューサーのフランシスコッポラの娘である。フランシスコッポラは「映画小僧」の中でかなり著名な人物であり、その娘は「映画小僧」のさらに次世代の人物という点で要注目。
レニーリーフェンシュタールは1930年代の人物であるが、ペルリンオリンピックの公式映画で絶賛されたことで女性映画監督として現在も1番に名前が出るほど著名な人物である。選手を下から撮ったりなど、革新的な手法を初めて使った映画監督でもある。
【補足事項】
特に無し。
(4)阿部グループ(2班)
・発表者:小林
・課題本:稲田豊史『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ コンテンツ消費の現在形』(2022年)
・発表範囲:第4章『好きなものを貶されたくない人たち』
【概要】
現在視聴者のわがまま化が進行している状態である。具体的には作り手の意図を無視した倍速視聴や好きなシーンのみ視聴することであり筆者はこの快適主義に拍車がかかっていると主張している。快適主義の浸透は他人視点の欠如を生み、自分と異なる意見を許容できなくしてしまう。その顕著な例が評論本の衰退である。
【質疑応答】
特に無し。
【演習】
今回は無し。
【補足事項】
例を使う時はexではなく、e.g.を使う。exは米語のみ。
早送りは型のあるラブコメなど作品を見ることが前提になる。つまり、型を予測できるか
らこそ早送りができる。では、型にハマらないような作品を鑑賞するにはどうするのだろうか。見るのか見ないのかといった疑問も考えられる。
また元から映画評論本は売れていないし映画の売り上げに影響を及ぼしていなかった。
そして作品を体系的に見る若者の増加とあるがそもそも体系的に見るということは他作品などとの比較が伴う。よって映画を常習的に見るという習慣があった頃でなければこの話は通用しないことに留意するべきである。
2 反省
前半はいつも以上に議論が活発だったが、後半の発表になるにつれて議論が減っていってしまった点。
作成:鈴木
編集:阿部
日時:2023年5月9日(火)15:20-19:30
会場:リバティータワー1141教室
参加者:18名
江下、許田G(4名)、阿部G(4名)、内山G(5名)、福井G(4名)
欠席者:3名
遅刻者:0名
早退者:2名
第5章
七〇年代、スター作家の誕生やシステムの変化を経て、ハイ・コンセプト型の映画製作を確立したことで様々なヒット作が生まれ、ハリウッドは以前よりもはるかに大規模な都として大復活を遂げた。
【質疑応答】
質問1:第5章における「子供の怪物化」という部分の説明で「子供が悲惨な世界の象徴であると同時に希望の担保として特権化された」とあるが具体的にはどういう意味か?
回答:たとえば『キャリー』という映画においては、いじめられて抑圧されていた女の子が超能力を以て世界を滅ぼそうとして救済を得ようとしている、という例がある。
質問2:「1960年代の若者による既成価値観の打破運動」という表現があるが、何か具体的な名前は出ているか?
回答:本に記載なし。
質問3:第5章で紹介された「テレフィルム」について。映画と比較して、テレビ用のフィルムを撮影する上での内容の変化や撮影技法の変化はあったか?
回答:本に記載なし。テレビがハリウッド等映画界に及ぼした影響は広告面での変化しか書かれていない。
【演習】
Q.「商業主義映画やB級映画などの映画界における存在意義とは?」
各Gが考えた答えを提示。「多様な映画表現を守れる」「映画文化そのものを広められる」「新人を積極的に起用できる」「成功すればその資金を大規模のプロジェクトに回せる」等の回答を各Gからほとんど共通して得られた。
A.(江下先生の回答)
大衆向け作品を出す事で業界全体が潤う。また、業界が潤っていれば新人の参入が可能になる。映画等のコンテンツビジネスの最大の特徴は「ヒットを読みづらい」点にある為、業界が潤っていればヒットに繋がる「博打」を打ちやすくなる。その為、コンスタントに利益を取れるB級映画がたくさん出ていると業界全体として良い傾向にあり、悪い傾向にある時は例えば「伝統芸能」として生き残りをかける他に手段がない状態と言える。
【補足事項】
特になし。
(4)福井グループ
・発表者:福井
・課題本:ダニエル・ハーバード『ビデオランド レンタルビデオともうひとつのアメリカ映画史』(2021)
・発表範囲:第二部(ビデオストアと映画文化のローカル化)の第三章「ビデオ資本」
【概要】
ハリウッドに対するオルタナティブが生き延びている背景には、映画産業が集中する地
理的な要因が関係している。ビデオ専門店が人の少ない地方の町のサブカルチャー的なイ
ンフラの一部としてコミュニティに組みこまれ、支えられることで、町のオルタナティブ
なメディア文化が成長し商業的に活発になる。
【質疑応答】
特になし。
【演習】
Q.「どのような場所、どのような店舗デザイン、どのようなサービスならレンタルショップに行ってみる気になるか?」
阿部G:「コンビニの一角にレンタルコーナーを作る。」
許田G:「再生機器を持っていない、持ち帰らなければいけないというレンタルの欠点をなくす為に、映画館の近くにその場でビデオを見れるスペースを置く。ビデオの中身についてはマイナーであったり、その時映画館で上映されている映画の監督が手掛けた過去作品を置く等の専門性を重視する。」
内山G:「映画館の近くにショップを置く。シリーズの過去作品や同じ監督の他の作品などをラインナップに入れる。キャストの等身大パネルを置いたり、出演者や監督がたまに来て1日従業員をするなどの「オタク向け」なサービスを取り入れる。」
福井G:「空港や駅にショップを置く。旅行先の気分を感じられるような雰囲気の映画を中心に置く。従業員はフレンドリーで、店の雰囲気は明るいほうがよい。」
A.(江下先生の回答)
いずれも正解。マーケティングの観点から注目しておきたいのはわざわざ借りに行くのはマイナス要因であり、「何かのついで」という形はマイナス要素を取り消せる要素である点
【補足事項】
イギリスで貸本が始まった時は、鉄道の乗る駅で借りて降りる駅で返すというスタイルが主体であった。
(2)阿部グループ
・発表者:南
・課題本:稲田豊史「映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ コンテンツ消費の現在形」(2022)
・発表範囲:第3章『失敗したくない人たち 個性の呪縛と「タイパ」至上主義』
【概要】
倍速視聴の内的要因には「共感強制力」というものがある(共感強制力とは、「仲間の和を保つためには話題に乗り、共感する必要がある」というある種の圧力の事)。若者は世間から「個性的でなければならない」という圧を受け、また同時にキャリア教育を受けてきた事で「すべてを効率化しなければならない」と思い込むようになってしまった。オタクのパブリックイメージが悪いものから良いものへと変容し、SNS上で見られるハイレベルな議論等をきっかけにオタクを名乗るハードルが上がり、作品を解釈する上でも間違いを恐れて考察サイトを読み込むようになってしまった。仲間内でのコミュニケーションのために、数あるコンテンツをバイトや学業の合間にチェックしなければならず、金銭面でも不自由なため、サブスクを用いて倍速視聴をする。
【質疑応答】
特になし。
【演習】
Q.「本当に映像作品がコミュニケーションツールになっているのか?また、若者は本当に多くのコンテンツをチェックしているのか?」
各Gの回答は「映像作品はコミュニケーションツールとしての一面も担っているかもしれないが、話題の全てではない」「共感強制力は実際には大きく働くことはない。あるかもしれない、という程度の認識」という点で一致した。
A.(江下先生の回答)
「全体的にはやや誇張が見られるのではないか。また、若者全体ではなくF1層(20~34歳の女性層)が一番当てはまるのではないか。」
【補足事項】
大学生もF1層に区分されるがあくまでその一部である。
(1)許田グループ
・発表者:鈴木
・課題本:柳下毅一郎『興行師たちの映画史』(2018)
・発表範囲:第5章 『トッドブラウニングとカーニバル映画人』
[概要]
かつて見世物業から映画が生まれ、見世物の世界から映画監督になったブラウニングは優れた役者たちと自分の色と観客の求めるものを色濃く残した映画を多く残した。その正の部分が魔人ドラキュラであり、負の部分がフリークス怪物団だったのである。史上最も呪われた映画人がブラウニングであるなら史上最低の映画監督がエド・ウッドである。カーニバル出身の彼はまともな映画の作り方を学ばずに我流で自らの趣味や苦悩を映画にした。そんなエドウッドに惹かれたフレッドオーレンレイは史上唯一映画人からカーニバル芸人への転身をしたのだ。
【質疑応答】
特になし。
【演習】
特になし。
【補足事項】
「メロドラマ」という言葉の意味を調べておいて欲しい。
「身体棄損」は映画のテーマになりやすい。日本の作品では『蛇にピアス』『ヘルタースケルター』などが挙げられる。ホラー映画というものは「人の原型が崩れる」ことへの恐怖を軸にしている事が多い。怪物化をせずともホラーとして成立しうるのが「身体棄損」であり、作家性のある人はこれをテーマにする事がある。
2 反省
個別事項の紹介が多かった事もあり、質問があまり出なかった。
作成:石上
編集:阿部
日時:2023年4月25日(火)15:20-18:50
会場:リバティータワー1141教室
参加者:20名
江下、許田G(5名)、阿部G(5名)、内山G(5名)、福井G(5名)
欠席者:0名
遅刻者:0名
早退者:0名
「第2章 エキゾチズムと偽ドキュメンタリー―3 ヤコペッティとモンド・ムービーの誕生 エキゾチズムと偽ドキュメンタリー」
猟奇残酷オムニバス・ドキュメンタリーであるモンド・ムービーというジャンルが誕生し、残虐行為に限らず、珍しいものや出来事をつなぎ合わせるだけで一本の映画が出来上がるようになった。加えて、元々、よりショッキングなものを求めてはじまったはずのフェイク・ドキュメンタリーは、いつの間にか手の加えていない生の素材を使うようになっていき、観たことのないものを観たいと願う観客との共犯関係こそがドキュメンタリーという幻想を成立させていた。
「第3章 魔術師の映画 フーディーニからキートンへ」
魔術師フーディーニは映画というメディアを利用して自身の「神話」を作り上げる事に
成功し、現実とフィクションの境目を観客からはわからなくさせた。その姿勢はオーソ
ン・ウェルズとバスター・キートンに受け継がれ、アクション・スターとしての一面はジ
ャッキー・チェンに継承され今に至っている。
「第4章 フリークショー映画の栄華」
当時最高の見世物映画として君臨していた映画はフリークショーである。フリークとは奇形等を指す言葉であり主に身体に異常を抱えた役者が出演していた。その最高峰は『フリークス/怪物』であり、この映画はハリウッドで最も呪われた映画と呼ばれ、数十年間上映禁止とされるほどだった。また監督であるトッド・ブラウニングの関心は奇形へと向いており、彼にとって奇形者は見世物を最も効果的に見せる為の演出にすぎなかった。後に異形によって恐怖を与えるフリーク映画から演出によって恐怖を与えるホラー映画に派生し、奇形であるがゆえにきれいな心を持つといった感動系のフリーク映画に発展することになった。
【質疑応答】
質問1:アクション・スターとしての側面がジャッキー・チェンに通じるとあるがどういう風に通じたのか?
回答:フーディーニとジャッキー・チェンの両者にはただひたすらに体術を見せることがショーとして成立するほどの強烈なアクション性があったということ。※補足➀参照
質問2:フェイクドキュメンタリーという形で放送されたことで実際に勘違いを起こした人々はいたのか?
回答:ウェルズの『宇宙戦争』では緊急放送という体で放送したため、一部の住人がパニックに陥った。※補足②参照
【補足事項】
道徳的な葛藤と自身とは違うものを見たいという欲求を突いたのがフリークス映画でありかわいそうだ・聖なるものという認識は差別意識を覆い隠してしまう問題がある。その筆頭が『エレファントマン』『ジョニーは戦争に行った』といった作品である。さらにモンドムービーは基本的につまみ食いの形式を採用しており現在のショート動画との類似が指摘されている。またフェイクドキュメンタリーは現代ではどういうコンテンツとして存在しているのかといった議題は現在も一考に値するだろう。
➀アクション・スターとしての継承はジャッキーチェンの前にブルースリーが先である。前提はブルースリーの正当なアクション映画であり、ジャッキー・チェンはそれのパロディー的な解釈によってアクション・スターとしての地位を確立した。
②上記で『宇宙戦争』におけるパニックが発生したとあるがパニックが起きたというニュース自体がフェイクニュースであったというのが有力な説である。
(2)内山グループ
・発表者:菅井未結、池村享介
・課題本:『新版ハリウッド100年史講義』
・発表範囲:第2章 夢見るハリウッド
:第3章 古典的ハリウッドの成熟
【概要】
「第2章 夢見るハリウッド」
資本力の増強、産業体制の構造化、社会的認知の拡大によって映画制作は、監督からプ
ロデューサーが主導していくようになった。20年代は、サイレント全盛期だったが、3
0年代に入ると音や色、その他新しい技術が映画に加わり、映画の内容が改めて注視され
るようになった。さらにプロダクション・コードによって映画業界による自主検閲が行
われた。そして公的に認められた文化となったハリウッド映画は、文芸作品の映画化を推し進め、誰もが認める「ザ・アメリカ文化」へと成長していった。
「第3章 古典的ハリウッドの成熟」
大衆文化として成長した映画は第二次世界大戦や冷戦によって衰退していく。しかし戦争による国を超えた交流と人々の感情の変化が物語映画の発達を進める事となった。その基盤は主観の多層化による物語の複雑化と技巧の派手な前景化にある。
【質疑応答】
質問1:アメリカの第二次世界大戦の参戦をそそのかしたとあるがそれは政府主導のものか?
回答:本に記載なし。
質問2:カラー映画が発達したことによるメリットは何か?
回答:撮影に必要なフィルムが3枚から1枚になり、必要な工程が削減された。
質問3:不況の時代に娯楽は優先度が低いのになぜ上映されていたのか?
回答:本に記載なし。 ※補足③参照
【補足事項】
西洋の社会におけて第一次世界大戦は重大な転換点であったことに留意する。大戦の結果覇権がイギリスからアメリカへ移り変わったのが1920年代であり、その時代はジャズエイジと呼ばれている。ヨーロッパでは男性人口が激減し、女性の存在感が高まった。その筆頭がシャネルが牽引するファッション業界である。一方アメリカでは景気が高まり、上昇志向が表れていたことが当時の「ザ・アメリカ文化」の形成に強く関わっていた。
③ちなみに30年代以降は不景気な雰囲気の影響をハリウッドも受け、一時的に映画産業が衰退したがその変わりにラジオ放送がメインストリームになった。映画業界の人材がラジオ業界に流失したことでのちに音声付きの映画を制作する際にラジオ業界のノウハウが流用されることになった。
(3)福井グループ
・発表者:藤原 彩乃
・課題本:『ビデオランド』
・発表範囲:第1部 レンタルビデオの歴史と文化 第2章 実践的な分類
【概要】
ビデオストアの空間形成は主に外観と店内づくりによって行われた。特に映画の分類に
は各ビデオストアの美的判断が現れていた。そして、それらの空間形成は、人間が媒介とな
るさまざまな社会的な相互作用を促し、再構築した。
【質疑応答】
特になし。
【補足事項】
ビデオストアにおいて作品はカテゴリーごとだけでなく出演している俳優や監督によって
、メイン分類サブ分類といった形で分類、レイアウトされている。また店のレイアウト自体がストーリー仕立てにデザインされていることも多く、大規模な企業なら特にその傾向が強い。さらにビデオストアのような実在する店舗だけではなくサブスクリプションでも同じようになっている。関連作品のレコメンデーションは利用者の視聴する作品の傾向を予測して表示されている。これはお客さん個人にデザインされた棚が並んでいる状態であるといえるだろう。よって「サブスクリプション以前と以降でどのような違いがあるのか?」「サブスクの時代になったときどうやってコンテンツにめぐり合わせるのか?」といった疑問に対して考えを巡らせておくことはこれは今後のビジネスを考えるにあたって非常に重要な論点である。
(4)阿部グループ
・発表者:細野百合愛
・課題本:『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ コンテンツ消費の現在形』
・発表範囲:第2章 セリフで全部説明してほしい人たち みんなに優しいオープンワールド
【概要】
近年、1から10まで状況や感情のすべてをセリフで説明するという作品が増えています。その背景には、「わかりやすい」ことが喜ばれる世の中の風潮や、SNSでどうしても目立ってしまう観客の幼稚な感想や批判などがあります。そんな中でいかに「わかんなかった、だからつまらなかった」と言わせないための観客みんなに「優しい」脚本や物語の作り方というものが必要になってきています。常に覚えておいてほしいポイントは、観客が観終わった後に「わかんなかった、だからつまらなかった」となってしまうことを制作側は非常に恐れているという点です。それを言わせたくないという考えが根本にあってそれがやたら説明やセリフの多い作品たちが増えている1番の理由とも言えます。 ※補足④参照
【質疑応答】
特になし。
【補足事項】
上記の「わかりやすい作品」と「わかりにくい作品」はそれぞれ以下の用語で説明できる。
ローコンテキスト―直接的 文化に対する理解がなくても理解できる意味
ハイコンテキスト―婉曲的 文化に対する理解が深くないと理解できない意味
つまり分かりやすい作品というのはローコンテキストに分類され、わかりにくい作品はハイコンテキストに分類される。ハイコンテキストな作品の場合、ある文化に対する理解が必要なため敷居が高い作品であると言える。また昔は現在と比較して作品の絶対数が少なかったためハイコンテキストが成立しやすかったという側面もある。
④ハイコンテキストな作品を十分理解するには共通の文化背景が必要になる。ただ今のコンテンツは世界市場を狙っているため、観客の文化的共通項がどうしても小さくなってしまう。よって作品の傾向がローコンテキストにならざるを得ないということにも留意すべきである。
2 反省
今回の発表では前半の2班に時間を使いすぎた結果、後半の2班に対する質疑応答の時間が比較的短く、あまり議論が進まなかったように思える。よって各班が1つの発表につき15分以内という制限時間を厳守することが肝要だろう。
作成:阿部
編集:内山
日時:2023年4月18日(火)15:20-18:50
会場:リバティータワー1141教室
参加者:19名
江下、許田G(4名)、阿部G(5名)、内山G(5名)、福井G(5名)
欠席者:1名
遅刻者:1名
早退者:0名
(1)阿部グループ
・発表者:阿部
・課題本:『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ_コンテンツ消費の現在形』(稲田豊史、光文社、2022)
・発表範囲:序章、第1章 「早送りする人たち 鑑賞から消費へ」
[概要]
序章
近年、映画の視聴方法は、作品の「鑑賞」することから、コンテンツとして「消費」することへと変わっていった。視聴者にとって映像作品がどういう存在かで、視聴態度は変化し、「消費」か「鑑賞」として観るかが決まる。
第1章
動画配信サービスの発達によって、作品を鑑賞する機会が増加するよりも、コンテンツを消費させる習慣が根付いた。また、私たちは作品によって鑑賞と情報収集の態度を使い分けている。近年、「観る」という体験よりも「観た」という情報が重要視されている。
〈質疑応答〉
質問1:間接的な表現ではなくて、直接的な表現が増加したとあるが、『鬼滅の刃』以外に具体的な例はあるか。
回答:『鬼滅の刃』以外の具体例は、本では記載されていない。
質問2:著者は倍速視聴を良いと思っているのか。
回答:作品を情報として観る場合は良いが、作品として鑑賞する場合は倍速視聴は良くないと考える立場である。
質問3:なぜ間接的な表現が減って、直接的な表現が増加したのか。
回答:本には記載されていない。
質問4:鑑賞モードと情報収集モードは、今はどちらが多いのか。
回答:サブスクリプションにより、だんだん消費モードが増えている。
〈補足事項〉
昔の映画は、音のないショート動画のようなものであり、複雑な物語は表現できなかった。そのため、映像の中にナレーションをいれるか、映像の横に解説者が立つことで、物語の内容を説明した。現在は、セリフや音のナレーションにより、時間軸を越えて表現できるようになった。また、昔はテレビで映画を流すことが多かった。そのため、年に百本の映画を観ることはさほど難しくなかった。これらを踏まえて、「サブスクリプションがある今はどうなっているのか」、「『みた』という情報に価値はあるのか」、「倍速で視聴することで、一年間あたりに観る映画本数は増えたのか」などのような点について疑問を抱き、考えるべきである。
(2)内山グループ
・発表者:菅井、西山
・課題本:『新版ハリウッド100年史講義 夢の工場から夢の王国へ』(北野圭介著、平凡社、2017)
・発表範囲:序章、第1章 「ハリウッド誕生」
[概要]
序章
現実をあるがままに写し撮り、そのまま動く映像として映し出す光学装置が、個別に楽しむ箱型娯楽へと応用され、その後大人数で集い鑑賞する視覚文化へと展開された。映画は装置そのものと映し出された映像の見世物的な魅惑から、物語を「語る」装置へと向かい、未分化だった制作・上映・鑑賞が徐々に区分けされハリウッドの誕生へと導いた。
第1章
映画で観客を魅了できることに気づいたズーカー、フォックスは映画の産業構造を整え第一次世界大戦の影響も受けながらハリウッドの基礎を築いた。そして、グリフィスが映画作りの基本形をつくり、ヒット作を生むことでグリフィスの名とともにハリウッドの名をも世界に轟かした。古典的ハリウッドに見られるメロドラマ的要素を強く持つ映画から映画スターをも生む、ハリウッドが誕生した。
〈質疑応答〉
質問1:「時間的に大きな隔たりがある」とはどういうことか。
回答:映像を録画することができるようになった時期と、映画を再生することができるようになった時期が異なり、隔たりがあるという意味である。
質問2:映画の内容をどのような基準で審査したのか。
回答:本には詳しくは記載されていない。
質問3:映画になるまでの過程において、光学装置を発明した後、娯楽と融合する必要があったのはなぜか。
回答:「多くの人に見られるようになってこそ映画である」と筆者が定義しているため。
質問4:映画で観客を魅了することができることに気が付いた具体的なきっかけはあるか。
回答:おもちゃの汽車を見たことがきっかけである。
質問5:シーンとショットの区別とはなにか。
回答:本には詳しくは記載されていない。
〈補足事項〉
フィルムに連続的に撮影された写真を、映像として映すことは難しい。残像効果を残すためには、フィルムを一瞬止める必要があるが、この技術が難しかった。リュミエール兄弟は、ミシンを応用して、フィルムを一瞬止めることができる再生機を発明した。また映画史においては、エジソンはあまり良い人物として描かれない。エジソンは、映画における発明が全てうまくいかなかったため、他のだれが何をやっても自身が儲けることができるような仕組みを作り上げ、関連特許で儲けた。
(3)福井グループ
・発表者:伊藤、竹内
・課題本:『ビデオランド レンタルビデオともうひとつのアメリカ映画史』(著ダニエル・ハーバード、作品社、2021)
・発表範囲:第1章 「長い物語」
[概要]
レンタルビデオ業界は1980年代から90年代にかけてアメリカ人の一つの生活習慣となるまでに拡大した。しかしながら、DVDやオンライン・ストリーミング型サービスの登場により、「レンタルビデオ」は時代錯誤のものになっていった。
〈質疑応答〉
質問1:再生する機械は、各家庭にどれくらいの値段のものがあったのか。
回答:具体的な値段は書いていないが、家庭に普及されたと記載されている。
質問2:時間的制約はどれくらいか。
回答:具体的な数字は書いていないが、例えば、金曜ロードショーにおいて、コマーシャルが入ったり、前後の番組があったりすることで、作品の一部が削られてしまうことが時間的制約の例である。
質問3:「メディア自体が物質的なものである」とは具体的にどういうことか。
回答:パソコンなど、メディアという媒体自体が物質的である。
〈補足事項〉
ロングテールとは、よく売れる商品の売上よりも、少しずつしか売れない商品の売上を合計した金額の方が上回ることがあるという考え方である。典型的な例は、Amazonである。また、レンタル用のサービスの普及の流れについても説明があった。昔のアメリカの一般家庭では、週末に夫婦で映画館に行って映画を観る文化があった。しかしながら、治安の悪い地域では映画館に足を運ぶことができなかった。そのため、他の国よりも早くレンタルサービスが普及した。日本においては、ビデオテープが誕生したばかりの頃は、ビデオテープの値段が高かったので、レンタルサービスが普及した。初めは無認可で行われていたが、レンタルサービス市場が大きくなるにつれて、ビデオテープ会社もレンタルサービス市場に目をつけ、レンタルサービスがより普及していった。
(4)許田グループ
・発表者:許田
・課題本:『興行師たちの映画史』(柳下毅一郎著、青土社、2003)
・発表範囲:第1章 「自粛警察と新自由主義」、第2章 「エキゾチズムと偽ドキュメンタリー」
[概要]
第1章
リュミエールとメリエスの時代は、多くの金を得ようと観客の興味を重視した。利益を追求し、観客の好奇心を搾取する映画をエクスプロイテーション映画という。また当時、映画産業は確立されておらず、監督・興行師・俳優は三位一体であった。
第2章
観客は見たことがないものが見たいため、映画人はそれに応えてきた。世界各地の映像を流し、観客のエキゾチシズムを刺激した。フラハティーは数々のドキュメンタリー映画を製作した。当時ドキュメンタリーという概念はなかったため、作為があっても観客には気にされなかった。クーパーとショートザックはモンスター映画のジャンルを成立させる。ヤコペッティはモンド映画を製作し、蛮習だけでなく文明も嘲笑の対象にした。
〈質疑応答〉
質問1:リュミエールとメリエスが没落していった原因や、それに関する筆者の考えはあるか。
回答:リュミエールとメリエスは全てを自分たちで行おうと考え、産業化していかなかったため、没落した。
質問2:「エクスプロイテーション映画は見せられないところを隠して観客に想像させるハリウッド映画とは異なり、すべてをさらけ出して見せる」とあるが、なぜそのような違いが生まれるのか。
回答:エクスプロイテーション映画は、ハリウッド映画に比べ制限がないため、ハリウッド映画には行うことができないような自由な表現をした。
質問3:教育映画であるのに、商業的な価値が見いだされたのはなぜか。
回答:教育映画という観点よりも、世間に広めたいという思いから作成した作品が、たまたまヒットして利益が出たということである。
〈補足事項〉
映画ビジネスと映像作成には、違う人物が関与し、貢献している場合が多い。また、ドキュメンタリー映画が、モンスター映画の原型になっている。
2 反省
初めての発表であったため、戸惑うことも多かった。発表する際は、自身の言葉に言い換えて伝えることも重要である。また、質問に対する答えがわからない場合や本に記載されていない場合は、適当なことを言わずにその旨を答えるべきである。
作成:内山
編集:阿部
日時:2020年10月18日(火)15:20-18:20
会場:リバティータワー1141教室
参加者:17名
江下、高橋、山岡G(5名)、村川G(3名)、米田G(5名)、三浦G(4名)
欠席者:3名
遅刻者:1名
早退者:3名
[概要]
「自粛」の意味が戦時下とコロナ禍で価値観の変化と伴い歴史的に変わってきている。新自由主義が台頭したことにより、強者志向の傾向が強まって決断主義が目立つようになった。また、弱者と強者の定義が難しい局面が出るようになってきた
〈補足事項〉
行動自粛の顕著な事例として、昭和天皇のなくなる直前が挙げられる。1988年の12月ごろ昭和天皇が重体になり、ニュースで吐血や下血、輸血の状況が報道された。当時、年末ということもあり忘年会が自粛された。また、日産のテレビコマーシャルでは、車の窓を開けて「お元気ですか」というものもあったのだが、非難を浴びて自粛された。その際には「こんな時期に忘年会をやるのはいかがなものか」、「天皇の状態でこのようなCMを流すのはいかがなものか」というように、はっきりと「けしからん」「好ましくない」とは言わない表現が用いらえた。考えればわかるだろう、という圧力を意味していると考えられる。
発表内で名前が挙がった安田純平さんは情コミで講演に来ていただいたことがある。常岡浩介さんも情コミに講演予定であったが、その前に拉致されてしまった。2人は「自分たちは自己責任で危険であるところに行っている、最悪殺されることもわかっていて家族に伝えている。しかし、自己責任だと責める人々が自己責任であることを認めてくれない」と口をそろえて言っていた。
(2) 山岡グループ
・発表者:田島、荒木
・課題本:『『ぴあ』の時代』(掛尾良夫著、2013)
・発表範囲:序章、第1章 『ぴあ』の胎動
[概要]
序章
総合情報誌である『ぴあ』は60年代のアンダーグラウンド・カルチャーの空気を受けながら1972年に矢内廣と仲間たちによって創刊された。そして、2011年に事実上の廃刊をした。
第1章
矢内廣の小学生から大学時代に注目し、各場所で出会った人物が創刊メンバーになったことを述べる。また、反体制運動が消極化した時代の空気感を読み取り、『ぴあ』創刊につながった。
〈補足事項〉
60年代の時代背景を理解しておいた方がいい。アメリカで顕著であったヒッピーブームというのがベトナム戦争に繋がっていっている。これらの担い手は若い物であったために、ヨーロッパや日本にも伝わってきた。特に劇場に影響し、「アバンギャルド」「アングラ」といったキーワードがある。アングラは小劇場を好む人々のファッションを指すとされる。アングラ文化というのはサブカルチャーであり反大戦運動を象徴するカウンターカルチャーである。
ぴあを好んだ若者は若者全体を指すのかエリート層を指すのか。当時、大学へ行っている人間は少数であり、学生運動が激化したときの学生はエリート層を指すと言える。この時、同時に労働運動もなされていたが、結果として時期がずれて学生運動が浮き出るということになった。一方アメリカはベトナム反戦運動が重なり、フランスの場合は労働運動がなされて、密に連携した学生運動も激しくなった。日本の60年代はデモ・ストがおきる激しいうごめく時代であったのだ。また、アメリカンニューシネマはこの時代の雰囲気に影響されて「アンチヒーロー」「バッドエンド」といった特徴を持つようになった。
(3) 米田グループ
・発表者:斎藤、米田、劉
・課題本:『メディアと日本人--変わりゆく日常』(橋元良明、2008)、『テレビ的教養』(佐藤克己、2019)
・発表範囲:終章 メディアの未来に向けて、序章 「テレビ的教養」を求めて、第1章 国民教化メディアの1925年体制
[概要]
終章
メディア間で単純に侵食現象が進行しているわけではなく、在宅時間の中で、メディアへの時間配分が変化していることを示す。特に、インターネットが他のメディアを完全に代替しているわけではないことに注目する。
序章
教養のメディアとしてテレビを論じる研究が少ない中で、格差社会や教育再生が叫ばれる今こそ「テレビ的教養」を考える必要性についてと、「教養」の定義について述べる。
第1章
日本におけるテレビ放送の前史であるラジオ放送における「教養」と「教育」の扱われ方と発展に寄与した西本三十二について述べる。また、「一億総中流化」を推進した経緯を放送教育運動の連続性から明らかにする。
〈質疑応答〉
質問1:番組の4分類の割合は番組全体を指すものであるのか。
回答:番組全体における割合である。
質問2:当時のテレビ教育の目的は何か。
回答:学校教育を補助するためのものであった。
〈補足事項〉
放送法で本放送と教育放送の免許の2種があった。一般的な放送は厳しく、教育放送は学校教育の補助を行うというものであった。テレビの事業免許の実態がゆるくなってきて、学校教育のコンテンツから教育的なことがあれば何でもよくなっていた。
(4) 三浦グループ
・発表者:飛世
・課題本:『「若者」とは誰か―アイデンティティの30年』(浅野智彦、2019)
・発表範囲:第1章 アイデンティティへの問い
[概要]
アイデンティティはかつて皆当たり前のように持っていたために、それを問うことがなかったが、消失してきたために今日では問いただされている。アイデンティティの捉え方として統合的アイデンティティと多元的アイデンティティというものがあり、両者は緊張関係にある。
〈質疑応答〉
質問1:エリクソンが「現代の」プロテウスたちと「現代」に限定した理由があるのか。
回答:彼らの時代ではアイデンティティがあることが当たり前であり、現代のアイデンティティが失われている時代のことを指したからである。
〈補足事項〉
統合的アイデンティティと多元的アイデンティティの違いは難しい。アイデンティティとは自分が何者かを認識するときの自己イメージの統合である。一方で、社会的役割を統合的に把握していると考えると、多元的アイデンティティも役割を満たしており統合された状態と捉えることもできる。
かつては身分制があったから、自分が問わなくても自分が決まっていた。しかし、近代化で自由が増えた分、自分というものが何者かが問われるようになった。場面ごとに自分がどのようにキャラを演じるかが流動的に分化してきている。
階級社会の中でその人の役割が決まるマクロの考え方と、日常的な個々の話はミクロの考え方がある。キャラを演じるということは、2つの捉え方ができるのだ。
また、日本人のアイデンティティを考えた時に特徴的であるのは、家族間で子供を基準に自称が異なるものがある。これは、固有のアイデンティティではなく、子供中心の家族関係と位置づけが作用していると思われる。
リースマンの考え方はかなり古典的なもので、シンプルで明快で非常に説明として使いやすい。人口の増加パターンにおいて人々の価値観と関係があるように思えるが、そこには世の中の経済状況も関わっていることを留意しなければならない。
2 反省
歴史的記述も多かったことからか、質問があまり挙げられなかった。時代背景を確認することでさらなる理解を得たいと思った。
作成:米田
編集:三浦
日時:2022年10月11日(火)15:20~17:30
会場:明治大学リバティタワー14階1141教室
参加者:16名
江下、高橋、米田G(4名)、山岡G(3名)、村川G(2名)、三浦G(5名)
欠席者:6名(1名はオンラインで出席)
遅刻者:0名
早退者:1名
[概要】
ソーシャルメディアの問題に関して、サンスティン、パリサー、ボツコフスキの3人によって検討が行われた。ニュースとソーシャルメディアの関係性について、3人の指摘から、一見技術的なサービスが、受け手の「ニュース」のイメージ、期待、価値基準に変更をもたらし、ニュース内容そのものにも変化を加える可能性があることがわかった。ここから技術的な革新」がジャーナリズム機能の衰弱、公共の言論空間の亀裂などを招くことが伺え、集団分極化が進んでいるアメリカでは顕著にその傾向が表れているといえる。
[質疑応答]
質問1:ファクトチェック機能の限界についてもう一度聞きたい。
回答:機能の限界には3つの要因がある。
1.ネット空間を友人や家族のように信頼のおける空間だと捉えているために嘘が広まる。
2.より絆を深めようと共感する話ばかりして、ニュースの選択的接触をしがちであるために、審議の判断ができなくなる。
3.ソーシャルメディアを提供する会社が情報開示をしないために、第三者が検証や検索や提案もできない。
質問2:感情の感染について相手の感情に無意識のうちに影響を与えるとあったが、それは正負どちらの感情なのかといった、具体的情報は記載されていなかったのか。
回答:正負どちらの感情も、対面的言葉のやり取りのようにネット上でも投稿を通して感情が伝わることが説明されている。
(2)山岡グループ
・発表者:山岡、山崎
・課題本:松田美佐『うわさとは何か』(2014)
・発表範囲:第6章 ネット社会のうわさ―2010年代の光景
[概要]
第6章―1
ケータイの普及とともに利用率が上がってきたメールは、うわさとどういった関連性があるのか考察していく。ここではメールが持つ非同期性と記録性の2つの機能が重要となる。その機能を踏まえると、メールで広がるうわさについて「気軽なうわさ」「記録性とうわさ」「メディア・ミックス化するうわさ」の3つの角度から考えることが出来る。
第6章―2.3
インターネットとうわさの関係性について、インターネット以前では不特定多数に向けた情報発信はマスメディアが独占していて、個人がマスメディアの情報発信過程に参加することは困難だった。情報発信のハードルをインターネットの誕生が大きく下げたことがここからいえる。
【質疑応答】
質問1:「そのチェックを通過しない限り」とはどういったチェックを指すのか。
回答:受け手側の個人的なチェックを指していると考えられる。
質問2:記録性とうわさの関連性について、善意によるチェーンメールが目立つ傾向にあるとあったが、具体的な例はあるのか。
回答:血液不足のために献血のキャンペーンを呼びかけるチェーンメールについて記載されていた。
(3)米田グループ
発表者:斎藤(佳)
課題本:橋本良明『メディアと日本人―変わりゆく日常』(2011)
発表範囲:第4章 ネット世代のメンタリティー―ケータイ+ネットの魅力
[概要]
インターネット関連の起業家に多い76世代と物心ついた時から周囲にコンピューターやネットが存在し、デジタルテクノロジーに浸って成長してきた世代であるデジタルネイティブについて、彼らの心理的傾向の相違点や共通点を分析するとともに、若者がなぜネットに惹かれて、なぜ依存をするのか検討する。
[質疑応答]
質問1:多くの若者の関心は政治ではなく自分とその周辺に集まっているとあったが、それはなぜか。昔の若者との比較がここにはあるのか。
回答:昔の若者と比べてより先行きが見えない、今の日本の将来が見えないという理由からそういった傾向が高まったといえる。
(4)三浦グループ
発表者:澤村、ハン
課題本:佐藤卓己『流言のメディア史』(2019)
発表範囲:第7章 戦後の半体制メディア、第8章 汚染情報のフレーミング、第9章 情報過剰社会の歴史改変
[概要]
第7章
戦後日本で見られた「もう一つのジャーナリズム」として、カストリ雑誌の中の共産党系出版社による暴露雑誌として売り出された「真相」を中心に戦後のメディアの流言を見る。
第8章
水爆実験による健康被害に関するフレーミングはメディア流言によって強められ、「風評被害」のフレームが形成された。それにより、魚介類全般が売れなくなり大きな損害が生まれてしまった。厚生、農林両省によって声明を出すも国民の不安は拭えず、新聞やNHKのラジオ放送、ビラや都電・都バスの広告などで魚の安全性を宣伝するまでに至った。
第9章
弾丸効果パラグラムにおいて、「絶対の宣伝」と呼ばれたナチ・プロバガンダの評価が大きく変わって、ナチ宣伝も限定効果論として説明されるようになった。ナチ宣伝はドイツ国民の先入観を顕在化させ、補強する効果はあったが、その選好を反転させるまでの即効力は有していなかった。ヒトラーは平和主義者を戦争支持者に変容することが困難であったために、ゲシュタボや強制収容所が必要となった。宣伝を先導した彼を絶対悪の象徴として神話化することで、現実政治を測る物差しとなっていった。
【質疑応答】
なし
2.反省点
前半はいつも以上に質問はあったが、後半の発表になるにつれて質問が減っていってしまった。
作成:山岡
編集:三浦
日時:2022年10月4日(火)15:20―17:10
会場:明治大学リバティタワー14階1141教室
参加者:16名
欠席者:4名
遅刻者:0名
[概要]
テレビと暴力について、50年代以降凶悪犯罪が増加し、犯罪に若年層が関わることが多くなった背景から、アメリカでは公的に議論が進められた。1970年代以降の調査研究の多くで、暴力シーンの多いテレビ番組を見る子ほど、日頃の素行で暴力的傾向が強いとされたが、その背後には別の要因があるのではないかという疑いもあり、関係は明らかになっていない。一方、日本では、暴力シーンの描き方がアメリカとは異なり、保育者と共視聴されるなどの理由から、テレビの暴力シーンは暴力的傾向に結びつきにくい。
またアメリカでは、番組の中身だけでなく、テレビを過剰に見ること自体が子供にどのように影響を及ぼすか議論されてきた。生後六ヶ月以上はテレビと現実世界を区別しているため、テレビ視聴が多動的傾向を誘発する可能性は少ない。また、テレビが言語発達を阻害するという指摘もあるが、必ずしもテレビが中心的な原因とはいえない。
〈質疑応答〉
なし
〈補足〉
・アメリカのメディア研究では、プロパガンダが行われたことから、メディアには影響力があるという見方での考え方が強い。
・また、アメリカは規制が強い。背景として、最初期の移民は生活が安定しておらず、エリート階層は移民社会を正しい方向に導こうという意識が強かったから。これによってアメリカでは、規制されたことでジャンルの棲み分けができ、過激なものでも禁止されないスタイルが確立した。
(2) 山岡グループ
発表者:山岡、荒木
課題本:松田美佐『うわさとは何か』(2014)
発表範囲:第4章 人と人をつなぐうわさ・おしゃべり 第5章 メディアとの関係ーネットとケータイの普及のなかで
[概要]
第4章
人との関係を築く上でうわさは役に立っている。うわさは秘密の共有から生まれる親密性や不安な気持ちの共有など、人とのつながりを強める力がある。また、ゴシップには、情報機能、集団規範の形成・確認機能、エンターテインメントの機能といった3つの機能が備わっており、ゴシップは個人にとっても集団にとっても必要なものなのである。
また、私たちはマスメディアの情報を権威づけ、他とは異なる価値につなげる傾向がある。そしてその中でもニュースを特別視するが、実際には文化的に構成されたもので、ニュースに値すると判断された話を取り上げられたものなのである。つまり、人々の関心を集めるような題材を取り扱うメディアは、それを「事実」として社会に広げいているのである。
第5章
うわさについて考える上では、内容だけでなくそれを伝えるメディアを考える必要がある。なぜならば、メディアの形式がうわさの成立そのものに関わっているからである。例えば、固定電話が主流でファックス・コピー機が一般的に使われていた時代と、ケータイが主流な時代とでは、生じるうわさも異なる。
また、日本で高度経済成長期を迎え、一般家庭に電話が普及すると、それにより人と人との関係性も変容した。あたがいに付き合う相手を自由に選び合うような選択的人間関係が広がったのである。この現象は全世代に当てはまるため、「都市化」という広い文脈で検討するべき現象である。
〈質疑応答〉
質問1:4章について、具体的なバッシングの例があればあげてほしい。
回答:漫画やネットなど新しいものに対するバッシングがあった。
質問2:当たり屋のチラシはどのように広がったのか。
回答:チラシはコピーやFAXで広がった。全て同じチラシではなく、新たなチラシがいくつも作られて広がっていく仕組みだった。
質問3:うわさとうわさではない情報の違いについて、筆者はどのように分けているのか。
回答:ニュースを事実性があるものではあるが、事実性だけでなく主観的な関心なども含まれているものであるため、ニュースとうわさは近いところにあると筆者は考えている。
補足:うわさの前提として、人間関係を通じて広まる点が挙げられる。一方で、うわさについて報道するとうわさが情報として広まり、うわさが権威づけられる結果となる。
〈補足〉
・ゴシップと社会的な関係について、男性は退職後社会的な関係を築きにくいという研究がある。
・次章で選択的人間関係という言葉が登場する。反対語は宿命的人間関係。都市のライフスタイルは選択的人間関係を築くことが可能である。
(3) 三浦グループ
発表者:稲葉
発表本:佐藤卓己『流言のメディア史』(2019)
発表範囲:第5章 言論統制の民意―造言飛語と防諜戦 第6章 記憶紙の誤報―「歴史のメディア化」に抗して
[概要]
第5章
流言やデマは元々根拠がなく、事実を曲げたものであるから、何処かに矛盾があるものである。そのために、流言の受け手は、批判的に相手の言うことを分析する必要があるのである。
怪文書の読者も、教養や知識量が乏しい訳ではなく、むしろインテリ層が読んでいたという。当時の紙面は面白さを買われるものの、その内容を信じられてはいなかった。戦前の流言は、流言浮説罪によって取締られていた。それよりもさらに重罪なのが、造言蜚語罪である。この「流言蜚語」から「造言蜚語」への変化は、平時と戦時の境界を消し去った総力戦体制の画期である。総力戦の一側面である宣伝戦においては、国民は情報を自ら分析する能力をつけなければならない。しかし、長期戦の下で流言対策の戦時立法は強化され、最終的には流言も風説も全て「造言蜚語」として重罰を下すことが可能になったのである。
第6章
新聞の内容に誤報が生じるのは、新聞間の競争と正確さより興味を優先する消費者の存在があるからである。さらに、人からの話を聞いたままに報道する「新聞記者の機械人間化」も指摘されている。特攻の戦果報道の大半はメディア流言と評すべき内容だが、その記事を見て国民が感動すれば、軍部も特攻を中止できなくなる。虚構と知りながら、感動を優先する「メディアの論理」で特攻記事を掲載した新聞の責任は重い。戦後においても、事実よりも読者への効果を重視するジャーナリズムに本質的な変化はなく、誤報が生まれる背景には、歴史的事実よりも国民的共感を重視する「歴史のメディア化」がある。だからこそ、新聞は歴史家による後の検証に向けて、情報公開に積極的になるべきなのである。
〈質疑応答〉
なし
〈補足〉
・当時の新聞記者の社会的地位は低かった。報道現場にいる人々はヤクザと同じような扱いを受けることも少なくなかった。地位が高くなったのは、大手マスコミが人気就職先になってからである。
・爆弾三勇士報道
日中戦争時、3人の兵隊が導火線に火を付けたままで爆弾を持って戦地に乗り込んだ。これについて新聞社が競って報道した。実は誤報であった。実際は、爆弾を運んでいた際、1人が銃撃を受けて死亡し、残りの2人は爆弾で死亡したというものだった。本社は感動的なニュースを求めていたため、誤報と知りながら報道した。
2 反省
質疑応答が少なく残念だった。
作成:手島
編集:三浦
一方、単位化の対象のゼミであっても、卒業研究を必須とするかどうかは各ゼミの判断に委ねられており、当ゼミでは必須としては扱いません。つまり、卒業研究に取り組みたい学生は取り組めばよし、取り組みたくない学生はスルーしてよし、取り組もうとしたけれども途中でやめたくなった学生も問題なし、ということです。また、卒業研究の単位と問題解決ゼミナールの単位は独立した扱いになりますので、4年ゼミのゼミの単位認定および成績評価は、卒業研究をやる・やらないに関係ありません。
3年次後期にはリサーチ演習をおこないますが、せっかく実務的な演習をおこなうのであれば、自分でちゃんと研究調査報告書を作成するトレーニングを積んだほうが学生にはプラスになるのではないか......そのように判断したために、卒業研究実施ゼミといたしました。一方、4年次の学習計画は就活や課外活動の状況に大きく左右されるため、卒業研究を必須にするのは適当ではないと考えました。ゆえに、やる・やらないは各人の任意の判断といたしました。
なお、当ゼミで卒業研究の成果物に想定しているのは、論文ではなく卒業制作(研究調査報告書)です。なにが違うのか? 論文というのは、問題提起・仮説・検証がセットになったドキュメントであり、どのように小さな問題であろうと、未解決の問いを設定し、それに答えねばなりません。一方、研究調査報告書は論文よりも想定される範囲が広く、数値データやインタビュー調査の結果を取りまとめて何らかの考察を加えた形式を充たせばおおむね成立します。たとえば、ある製品の将来市場を予測する。SNSで拡散したデマの発生から収束までのプロセスを追跡調査する。1990年代のテレビドラマに出演した俳優の共演関係のネットワークを指標化する。こうした取組をまとめたものが研究調査報告書です。
......と説明しても、具体的なイメージは湧きづらいと思います。3年次秋学期の演習を通じ、リサーチの実務を経験したうえで、なにをどう取り組めばいいかをイメージできるようになればいいのではないか、と考えます。
]]>4)モジュールに関してはあまり考慮しておりません。ゼミ選択と科目履修とは区別して考えております。
以上、いくつか気づいた点を書いてみましたが、なお疑問点があるときは、遠慮なくメール(essy59 [at] gmail.com)やtwitter(@massa27)のDMなどで質問してください。噂や怪情報に振り回されるのではなく、自分で動いて情報を取る姿勢が重要です。
参考までに、過去の応募者数と入室試験合格者の推移は次のとおりです。年は面接試験の実施年をあらわします。
2005年:【着任前につきゼミ募集せず】
2006年:【着任前につきゼミ募集せず】
2007年(ゼミ1期生=情コミ3期生)20名入室
一次募集:29名応募(当日2名欠席、受験:男12・女15)→男5・女14
二次募集【募集 1】:2名応募(男1・女1)→女1
2008年(ゼミ2期生)20名入室
一次募集:32名応募(当日4名欠席、受験:男13・女15)→男8・女12
二次募集:実施せず
2009年(ゼミ3期生)20名入室
一次募集:42名応募(全員受験:男19・女23)→男7・女13
二次募集:実施せず
2010年(ゼミ4期生)19名入室(20名中、1名が休学)
一次募集:33名応募(全員受験:男14・女19)→男6・女14
二次募集:実施せず
2011年(ゼミ5期生)20名入室
一次募集:39名応募(全員受験:男18・女21)→男4・女16
二次募集:実施せず
2012年(ゼミ6期生)30名入室 ※この期にかぎりゼミを2クラス開設
一次募集:29名応募(全員受験:男6・女23)→全員入室
二次募集【募集 1】:2名応募(男2)→男1
2013年:【在外研究のため募集せず】
2014年:【在外研究のため募集せず】
2015年(ゼミ7期生)20名入室
一次募集:20名応募(全員受験:男5・女15)→全員入室
二次募集:実施せず
2016年(ゼミ8期生)21名入室
一次募集:22名応募(全員受験:男5・女17)→男5・女13
二次募集【募集 2】:5名応募(男1・女4)→男1・女2
2017年(ゼミ9期生)22名入室
一次募集:21名応募(全員受験:男8・女13)→男6・女10
二次募集【募集 4】:14名応募(男5・女9)→男0・女6
2018年(ゼミ10期生)15名入室
一次募集:13名応募(全員受験:男6・女7)→男6・女7
二次募集:【募集 7】4名応募(男2・女2)→男1・女1
2019年(ゼミ11期生)22名入室
一次募集:24名応募(全員受験:男9・女15)→男6・女12
二次募集:【募集 2】13名応募(男7・女6)→男0・女4
2020年(ゼミ12期生:現4年生)20名入室
一次募集:23名応募(全員受験:男10・女13)→男5・女11
二次募集:【募集 4】6名応募(男4・女2)→男3・女1
2021年(ゼミ13期生:現3年生)20名入室
一次募集:24名応募(全員受験:男12・女12)→男8・女12
二次募集:実施せず