2013年度:問題分析ゼミ[火20]

2013年度の問題分析ゼミ火曜グループ第20回の概要です。

日時:2013年10月29日(火)16:20~20:00
場所:明治大学リバティタワー 10階1012教室
参加者:全17名 江下、高橋、橘G(5)、山田G(5)、後藤G(5)
欠席者:0名

1.個人研究発表

・秋楽
テーマ 『なぜコンビニコーヒーが売れているのか?』
[概要]
現在、コンビニコーヒーの売り上げが好調である。その理由として、低価格だけでなく、品質の良さを求める現在の消費傾向にコンビニコーヒーがマッチしたこと、コンビニコーヒーには缶・チルドコーヒーにはない聴覚、嗅覚の感性情報が含まれることが考えられる。このことから、コンビニコーヒーは缶・チルドコーヒーよりも多くの感性情報を含むため、コンビニコーヒーそのものが五感を刺激するPOP広告となっているのではないかという仮説を立て、都内38か所のコンビニを回り、検証を行った。その結果、大多数の店舗がレジと入口の間にマシンを設置しており、のぼりやポスターなどを使用していることから、店の内外からコーヒーの認知をすすめ、ついで買いで新規顧客の開拓を目指していることがうかがわれた。現在コンビニコーヒーには安さ、手軽さ、おいしさという付加価値が存在している。付加価値として不足している空間と特別感を今後補っていけば、コンビニコーヒーはさらにカフェ化していくと考えられる。

〈コメント〉
・喫茶店は空間を売りにしている場合もあるが、コンビニコーヒーは空間を売りにしているものではないのではないか。
・コンビニコーヒーのカフェ化を結論とするのならば、「空間化」の議論が必要である。
・国によってはカフェの位置づけが異なる。

・伊藤 
テーマ『メディア上で知り合った人と実際に会ったときにがっかりするのは何故か』
[概要]
ネット環境が整備され、ネット上で他人と出会う機会が多くなった。しかし、ネット上で出会った人と実際に会ってみると、「イメージしていた人と違う」というがっかり感を感じてしまうことが多々ある。なぜネット上で出会った人と対面時にがっかりすることがあるのか。サイバーセルフと複合現実社会の二つの観点から考察をおこなった。その結果、交流する相手の姿が実際に見えないネット上では、相手の外見を既知情報から推測することとなり、より肥大したサイバーセルフを意識してしまうこと、ネット上では「歩き回って目で見て探す」外見の品定め機能が排除されるため、より外見に焦点があてられてしまう状況であることがわかった。ネット上で他人と交流する機会が多くなった現在は、排除された機能をより重視してしまう時代となっているのではないだろうか。

〈コメント〉
・この研究にさらにオリジナルな要素として、想像と違ったためにがっかり感を感じてしまう事例を加えてほしい。
・フィードバック、フィードフォワードは、フェイストゥフェイスでは可能であるが、コミュニケーションにメディアをはさむことで、何かの情報が遮られ、想像を重ねることになってしまう場合がある。
・パーソナリティの語源はラテン語のペルソナであり、各個人は所属する集団によってペルソナを使い分けていると考えることができる。

・佐久間 
テーマ『杉並区にみる市民運動の現在地 ―フェスティバル化するデモ―』
[概要]
杉並区では原子力関連の市民運動が盛んである。そこで杉並と原発を共通点とし、過去と現在の運動の比較を行ったところ、60年前の原水爆禁止運動、東日本大震災後の杉並反原発デモのどちらにおいても、地元住民の強い連帯が今日でも運動の主体となっていることが明らかとなった。社会運動の変遷を見てみると、元来の社会主義・共産主義が基盤の労働運動から次第にNGOやNPOを中心とした市民主体の運動に変化していったことがわかる。現在ではサウンドデモ、フラッシュモブと呼ばれる形態がとられ、運動はよりパフォーマティブなものへ変化している。鳴り物や光物を持参するなど、パフォーマンスの多彩化はデモや運動の"フェスティバル化"を引き起こしていると考えられる。現在、原発が新たな象徴となり、デモは非日常空間を創りだす"祭り(フェスティバル化)"の要素を含んでいる。そのデモは地域を媒介とした、自由参加型市民が主体であると考えられる。

〈コメント〉
・デモがフェスティバル化したという結論をより説得力あるものにするために、フェスティバル化していないデモの事例も加えてほしい。
・もともとデモは左派系が主体。フェスティバル化したデモの主体は政党色をもたない市民であると考えられる。
・デモの政党色についての考察を加えることが課題。

・山口
テーマ『アニメ巡礼ノートからみた聖蹟桜ヶ丘 巡礼者の特徴の一考察』
[概要]
今日、アニメの背景モデル地となった場所に赴く"アニメ聖地巡礼"という現象が存在している。この現象は、アニメに日常性が見られるようになった1990年頃から発生したと考えられる。映画「耳をすませば」は日常性を持った初期のアニメの代表作であり、そのモデル地となった聖蹟桜ヶ丘にはコンスタントに巡礼者が訪れる。本研究では巡礼者が自由に書き込む「巡礼ノート」に注目し、聖蹟桜ヶ丘巡礼者には他の聖地巡礼者との違いが存在するのかを考察した。その他二つのアニメの巡礼ノートの書き込みも同時に調査を実施し、三つのノートの内容を比較したところ、聖蹟桜ヶ丘巡礼ノートには他のノートにはみられなかった、本名であること、後の人への情報が存在することという二つの特徴がもられた。この結果から、聖蹟桜ヶ丘巡礼者は、他の土地の巡礼者と比べて、後に訪れる巡礼者を意識して書き込みをするということが明らかとなった。

〈コメント〉
・聖地巡礼の"聖地"の定義を加えてほしい。
・なぜ"観光名所"ではなく"聖地"なのか。名所と聖地の区別をはっきりさせる必要がある。
・世界各地の何気ない観光地もマニアにとっては聖地となる場合がある(怪盗ルパンのモデル地の例)。

以上

文担当:松村
編集:伊藤