2017年度:問題分析ゼミ[2]

2017年度の問題分析ゼミ第2回の議事録です。

日時:2017年4月18日(火)15:20〜19:50
場所:明治大学リバティタワー13階1131教室
参加者:20名
江下、鈴木グループ(6)、西村グループ(5)、乗岡グループ(5)、上杉グループ(4)
欠席者:1名

1. グループ発表
(1)鈴木班
発表者:新見、井上
課題本:『青年と雑誌の黄金時代』(佐藤卓己 著 岩波書店、2015)
発表の範囲:第一章『蛍雪時代』、第二章『葦』/『人生手帳』
【発表の概要】
第一章:受験雑誌『蛍雪時代』は「勉強十戒」が定番であり、大学の大衆化が読者層  の大衆化を誘発した。戦前と戦後では受験雑誌の断絶はなく連続性のあるもので、読者層の下方展開を遂げた。『蛍雪時代』は孤立しがちだった読者にラジオ的受験生的公共空圏を与えた。受験雑誌が衰亡した今も学校秩序の中で『蛍雪時代』は地位を確立している。
第二章:進学を断念した勤労青年の進学できなかったことへの鬱屈を背景に人生雑誌は存在した。特徴は教養主義、読者共同体への参加感覚、左寄りの論調であった。高度経済成長による進学率の上昇、「政治の季節」へのミスマッチにより、読者離れが進んだ結果、健康記事の増加が進み、『健康ファミリー』へ誌名変更に至った。戦後の大衆の関心が公的・形而上的なものから私的・実利的なものへと移ったと考えられる。
 
(2)上杉班
発表者:田川、横山
課題本:『平凡の時代』(阪本博志 著、昭和堂、2008)
発表の範囲:第一章
【発表の概要】
『平凡』とは1950年代に最も読まれた大衆雑誌で、マスマガジンとして大衆の支持を得た。従来、1950年代は左右対立・過渡期との認識で、知識人と働く若者の間には文化の断絶が存在していた。1950年代をエリート中心の歴史ではなく、働く若者の存在に注目すると、『平凡』は大学生と働く若者の断絶を超える可能性を持つメディアであったと言える。
 
(3)西村班
発表者:唐沢、西村、福田
課題本:『族の系譜学』(難波功士、青弓社、2007年)
発表の範囲:結語、第三章、第四章
【発表の概要】
・結語
若者の間に流行ったサブカルチャーは文化の階級の意味は消失した。メディアの介入により世代、性別の壁がなくなり、年齢層が広くなった。これらの人々が自己定義のためにサブカルを用いるようになった。はみだすためのサブカルは社会に馴染むためのものになり、アクセサリ化が進んだ。
・第三章「太陽族の季節」
小説・映画の「太陽族の季節」は爆発的流行を遂げた。その映画に登場する石原裕次郎を真似る若者たちは「太陽族」と呼ばれた。終戦まで日本には青年期が存在せず、若者は一人前の人格として認められていなかったが、義務教育の浸透・アメリカ文化の受容によって独自のユース・カルチャーを表現し、自己主張を獲得した。
・第四章「みゆき族というストリート・スタイル」
1964年、銀座に集まるハイティーンの男性で構成された若者が「みゆき族」として話題になる。この現象は階級に捉われず任意に選択できる「世代」へ推移を表した。この特徴は偶像を持たず、「ストリート」発祥であること、FOR・MEN雑誌を筆頭とするメディアによりその場にいない人にも情報が共有され、敢えての「場のそぐわなさ」を追求していた。戦後の健気に生きるという通念を根本から揺るがすカルチャーであった。
  
(4)乗岡班
発表者:室井・井上
課題本:『雑誌メディアの文化史〜変貌する戦後のパラダイム』(吉田則明・岡田章子著、森話社、2012年)
発表の範囲:第一章 戦後パラダイムと雑誌「1950年代『週刊朝日』と大宅壮一」「高度経済成長の到来と週刊誌読者 総合週刊誌とその読者であるサラリーマンを中心に」
【発表の概要】
・「1950年代『週刊朝日』と大宅壮一」
大宅壮一は『週刊朝日』の中で「群像断裁」を記した。内容はメディアの台頭において転換した人間偶像を自ら選択し、描き出したものだった。その意図は私たちがどう把握し、どのように選択して歩みを進めていくのか問いかけるものだったと考えられる。
 
2 発表に対する先生からのコメント
概要は目次ではないことに注意して作成すべきだ。
発表の対象となる雑誌だけに着目するのではなく,他の雑誌との関係性を見ることも大切である。
発表を聞きながらメモを取る際,配布資料ではなくマイノートに記録するよう意識する。
 
以上
 
文章担当:上杉班 田川
編集担当:上杉