2017年度:問題分析ゼミ[9]

2017年度の問題分析ゼミ第9回の議事録です。

日時:2017年6月13日 15:20~20:00
会場:リバティータワー13階 1131教室
参加者:21名 江下、高橋、鈴木G(5)、乗岡G(5)、上杉G(4)、西村G(4)
欠席者:3名

1.個人発表
(1)
発表者:唐澤瑛斗
課題本:『ヤンキー文化論』(五十嵐 太郎 著、河出書房新社、2009)
【発表の概要】
時代が進むごとにヤンキーはその特性であった地域性を失い、ヤンキー文化には変化が起こった。ポスト・ヤンキー文化として走り屋やグラフティなどが登場、集団のつながりが希薄になっていく。また、過剰性や様式美がヤンキー特有の「キャラクター」となった。今も、ヤンキー的な精神や文化は消えることなく残っている。
 
(2)
発表者:チョウ・ラクキ
課題本:『アイビーの時代』(くろすとしゆき 著、河出書房新社、2001)
【発表の概要】
1961年、著者はVANに入社する。まだ既製服は貧乏人のものという印象であり、周りからはその入社は喜ばれなかった。
VANを立ち上げた石津謙介が世界一周の旅から戻ると、VANを従来のアダルト路線からヤング路線へと切り替えた。しかし、簡単には世間に受け入れられなかったため、VANと雑誌『メンズ・クラブ』で服と着こなしの発信を始めた。
1965年に著者はアメリカに向かい、アイビーリーグの本場で取材を行う。イメージとは違い、本場のアイビー校学生のファッションはカジュアルであることを知る。
VANのブームはみゆき族の登場によるものである。ブランド意識の登場やヤングマンマーケティングの成立が起こるものの、それに伴うVANの低年齢化により従来のVANファンのVAN離れが起こった。を立ち上げた石津謙介が世界一周の旅から戻ると、VANを従来のアダルト路線からヤング路線へと切り替えた。しかし、簡単には世間に受け入れられなかったため、VANと雑誌『メンズ・クラブ』で服と着こなしの発信を始めた。
1965年に著者はアメリカに向かい、アイビーリーグの本場で取材を行う。イメージとは違い、本場のアイビー校学生のファッションはカジュアルであることを知る。
VANのブームはみゆき族の登場によるものである。ブランド意識の登場やヤングマンマーケティングの成立が起こるものの、それに伴うVANの低年齢化により従来のVANファンのVAN離れが起こった。
 
(3)
発表者:新見友梨
課題本:『証言構成『ポパイ』の時代』(赤田祐一 著、太田出版、2002)
【発表の概要】
『ポパイ』は1976年に創刊する。新しいライフスタイルのコラムマガジンであった。最初の編集長の元では、編集者が取材して原稿を書き、編集部主導の雑誌づくりであった。独特な言い回しやキャッチコピーを使い、全部見開きで終わるスナック雑誌だった。最盛期の発行部数65万部であった。の92年の4月、7代目の編集長の元で雑誌の大幅リニューアルが行われ週刊誌になると、それまで編集部主導だった雑誌が読者主導になるなどの変化も現れ、広告収入も減少し93年には売り上げの部数も落ち込んだ。
今のポパイは、広告を取ることが第一であり実利的である。管理されており、やりたいことができず会社も工場化しているという。
『ポパイ』においては、読者のために作るよりも自分たちが楽しんで作ることのほうが大切だったのである。
 
(4)
発表者:平内志奈
課題本:『女と金』(宮川真紀 著、アストラ、2013)
【発表の概要】
OL向け雑誌のお財布記事から女性の暮らしや人生観や若い女性の社会の中での立場を3年ずつ1980年から30年間分見ていく内容である。
女性の働き方やお金に対する認識は一般事務で給料や働く期間が男性の半分であった時代から、経済成長や雇用機会均等法の施行、バブル絶頂期そしてバブル崩壊を通して変化してきた。その中で女性の給料や職種は増え、生き方は多様になった。しかし、結婚は女性の大きなターニングポイントであることは変わらず、また、男女雇用機会均等法施行などの制度を整えても周りや自身の思考から変えなければ女性は働きづらいままであった。
 
(5)
発表者:井上卓
課題本:『アイビーは、永遠に眠らない~~石津謙介の知られざる功績』(花房孝典 著、三五館、2007)
【発表の概要】
日本のカルチャーシーンに大きな影響を与えた石津謙介の功績を拾い上げ、分析した本。
石津謙介はファッションプロデューサーであり、1951年にVANを立ち上げる。ターゲットを若者に絞り、アメリカのキャンパスウェアであるアイビーを雑誌を利用して広めていった。VANのアイビーは若者の間で大流行した。ファッションとしてのアイビーの象徴であるボタンダウンシャツを製作、若者のファッションシーンを一変させた。
石津謙介が遺した最大の遺跡は、ファッションとしての「アイビー」の導入と、その象徴である「ボタンダウンシャツ」の日本のメンズファッション界への浸透と普遍化であった。
 
(6)
発表者:上杉彩夏
課題本:『『アンアン』1970』(赤木洋一 著、平凡社新書、2007)
【発表の概要】
『アンアン』創刊に携わった赤城洋一によって日記風に綴られた内容である。
『アンアン』は、1970年3/14から開催される大阪万博の直前に出したいという思いから、1970年の3/3に創刊されることとなる。全ページグラビア印刷の大型雑誌は当時は画期的なものだった。自分で服を作るのが当たり前の時代の中で、それまでの服飾誌のように型紙をつけるものから脱するという発想があった。オールグラビアにこだわり、千代田グラビヤという大型サイズのグラビア輪転機の存在が大きなものだった。『アンアン』はアートディレクター、スタイリスト、エディトリアルデザイナーなどを起用し、それらは草分け的な存在となった。『アンアン』のカラフルでダイナミックな誌面は、カジュアルな時代としての70年代の幕開けを告げていた。
 
(7)
発表者:谷川優衣
課題本:『オリーブの罠』(酒井順子 著、講談社現代新書、2014)
【発表の概要】
高校生時代から『オリーブ』読者であり執筆者でもあった著者が、自身の思い出を交えつつ『オリーブ』が少女に与えた影響を考察。 1982年に平凡出版より創刊した『オリーブ』は、根は保守的な女子大生がターゲットの雑誌だった。あらゆる基準を「自分が興味を持てるか」に置き、「モテと結婚」を重視する赤文字系雑誌のアンチテーゼだった。
しかし1983年に雑誌のリニューアルを行い、それまでの元気路線からロマンチック路線へ、ターゲットも女子高生へと変更した。読者を「オリーブ少女」と呼称し、憧れるべき存在として「リセエンヌ」を提示した。
『オリーブ』は付属校カルチャーも取り扱うようになる。センスが大切な「リセエンヌ」と裕福な「付属校カルチャー」は矛盾するものだったが、当時流行していたツッパリ文化を両者とも敵としていたために、誌面上で共存していた。
 
2.夏合宿の準備
それぞれ先週の進捗を先生に伝え意見をいただいた。今週から各班ごとにプレ調査を開始すること。
 
(1)街G
 1)カレー: 雑誌を調査、激戦区
 2)ブックオフ:土地柄、その町にブックオフ有るか無いか
 
先生のコメント
ブックオフの先行研究あり(先生著)
「雑誌を使うこと」をポイントにしてほしい。
タウン誌よりファッション誌を使うと良い。
比較対象を設定するかどうかはプレ調査してからでよい。
 
(2)サブカルチャーG
 1)アニメオタク:痛バック、外で集まるオタクたち、オタク/非オタクの意識、オタクがモテ要素?
 2)JSファッション
 
先生のコメント
「雑誌を使うこと」の観点からすると1)より2)の方がやりやすいかもしれない。
 
(3)マスメディアG
 1)ヤンキー:ドラマでアイドルがヤンキーを演じる、ヤンキーファッションが一般化
 2)オタク:コミュニティ形成はある、ライブアイドルオタクとSNSの関連、カリスマオタクの存在(RT数、ヒエラルキー)
 
先生のコメント
 2)のテーマは面白いが時間がかかりそう。
 1)はスムーズにできそう、雑誌・TVでリサーチすれば転換点を見つけてその周辺の時期を調べるとよい。
 
以上
 
文担当:谷川、西村
編集担当:上杉