2020年度:問題分析ゼミ[1]

2020年度問題分析ゼミ第1回の議事録です。

日時:2020年5月12日(火)15:20-18:20
会場:zoomでの実施のため自宅
参加者:24名
江下、高橋、矢野G(5名)、三ツ松G(6名)、佐藤G(5名)、安藤G(6名)
欠席者:0名
遅刻者:0名

1 グループ発表
(1) 矢野グループ
・発表者:矢野
・課題本:『昭和ドラマ史』(こうたきてつや著、映人社、2019)
・発表範囲:実験期と草創期
[概要]
実験期(1940年~52年)、テレビ表現と技術的可能性との戦いの中日本初のドラマが制作され、日本のテレビドラマの本質が具現された。また草創期(1953年~59年)には様々なテレビドラマが制作され、テレビドラマ娯楽の開発や芸術への挑戦が行われた。技術的限界のある中、ドラマ放送の実践と挑戦が行われたこれら2つの時代は、日本のテレビドラマの原点となる時代であると同時に、テレビドラマへの情熱にあふれていた時代である。
〈質疑応答〉
質問1:1940年ごろから実験期。第二次世界大戦がまだ国家への反発は表現しづらいのではないか。表現の統制などは受けなかったのではないか?
回答:本に記載なし
質問2:発表の中で『追憶』を四元中継ドラマと表現していたがそれはなぜか。
回答:四つの地点をつなげた中継放送であったため
質問3:発表の中で、「アメリカのテレビプレイに影響を受けた」とあったがテレビプレイの意味は?
回答:テレビプレイとは当時のアメリカでスタジオ撮影したドラマのこと。ドラマと同義でよい。
〈補足事項〉
初期のテレビドラマは娯楽の王様であった映画と比べて馬鹿にされがちな映像コンテンツであったが、制作者たちはそれを原動力としテレビ独自の技術を発揮しようと尽力した。また、当時のドラマ作りにはノウハウがなかったため、主にアメリカのドラマ手本とし制作された。

(2) 三ツ松グループ
・発表者:三ツ松
・課題本:『90年代テレビドラマ講義』(藤井淑禎著、平凡社、2018)
・発表範囲:第1章 ドラマ学入門の時期
[概要]
ドラマ学とは諸設定、筋、セリフ、テーマからシナリオを評価し、映像、音楽、キャスティング、演技からドラマ化を分析、時代や社会とのかかわりから時代性を評価した学問のことである。ドラマ学入門の時代は、込み入った構成と野心的なテーマを売りにした野沢・野島のNN時代が到来していたことで視聴率に左右されることなくドラマの出来栄えを客観的に評価しようとする動きも生まれてきた。
〈補足事項〉
テレビドラマはリーチが大きいため主題歌となった音楽側に大きなメリットがある。例)松任谷由実、小田和正
1990年代は離婚が一般的になったため、カジュアルな呼び名「バツイチ」がテレビドラマでも使われるようになった。

(3) 佐藤グループ
・発表者:田邊、川戸
・課題本:『深夜のラジオっこ』
・発表範囲:第1章「マセキ里穂」はこうして生まれた 第2章テレビじゃ、これは伝わらない
[概要]
第1章
放送作家である藤井青銅は対個人のメディアであったラジオで架空のアイドル「マセキ里穂」の企画などを通して注目を集めた。ラジオ制作では放送作家の仕事は多岐にわたるが、主な仕事としてはパーソナリティにその人らしい語りをさせるために工夫を凝らすことである。
第2章
1960年代は深夜ラジオが若者の文化の中心であり、人気の理由としては当時は深夜の娯楽がなかったことや深夜ラジオが他メディアにはない情報も発信していたためである。そんな中構成作家である田家秀樹はテレビ業界の勢いが続く中でもラジオ一筋で仕事を続けた。ラジオというメディアにはもはや影響力はないが、コンテンツ制作技術などラジオならではの良さがあるため、それを生かせば生き残ることはできると田家は考えている。
〈質疑応答〉
質問1:「ラジオが1対1で話すことに変わった」とは具体的にどういうことか?
回答:リスナー側からの話であり、リスナー1に対してパーソナリティが2,3人と増えていくこと
質問2:テレビにはないラジオのよさとは? それを生かすためにはどうすれば良いか?
回答:ラジオはリスナーが参加しているような気持ちになれる点が強みである。パーソナルな会話のノリを伝えられる点がラジオの良さではないか。
〈補足事項〉
構成作家、放送作家はテレビやラジオの構成を作る人のことである。ラジオの場合だと、どのはがきを読むかどんな話をするかなどの大枠を構成作家、放送作家が考えている。
ラジオの大きな特徴は何かをしながら聴けることや制作費が低コストであるため売れっ子ではない人を試しに出演させることができることである。

(4) 安藤グループ
・発表者:安藤
・課題本:『昭和バラエティ番組の時代』(田村隆著、河出書房新社、2018)
・発表範囲:第1章 バラエティ番組は未体験の圧巻!
[概要]
第1章
昭和28年NHK、日本テレビが誕生し手探りの中テレビ放送が始まった。限られた技術の中で演出を工夫しながら歌謡ショー、バラエティ番組は発達していった。テレビの存在価値が高まるにつれて、バラエティ番組が企業や出演者の宣伝にも大きな影響を及ぼすようになった。
〈補足事項〉
技術的にスタンドマイクが主流であった時代、歌手は直立不動で歌うスタイルが一般的であった。しかし、ビートルズの登場以降、歌だけではなく歌うアクションが人気となる。マイクの小型化やワイヤレス化になり、凝ったパフォーマンスが可能になったのである。
また音楽バラエティ番組はコンテンツをはじめから作ることは困難であったため、原型はすべてアメリカであった。

2 反省
話す内容を前もって提示すると聞き手も分かりやすいと思った。またオンライン上なので話すスピード、声の大きさも考慮する必要があると思った。

作成:小野寺
編集:佐藤