2022年度:問題分析ゼミ[16]

2022年度問題分析ゼミ第16回の議事録です。

日時:2022年10月4日(火)15:20―17:10
会場:明治大学リバティタワー14階1141教室
参加者:16名
欠席者:4名
遅刻者:0名

1 グループ発表
(1) 米田グループ
発表者:坂入
課題本:橋本良明『メディアと日本人―変わりゆく日常』(2011)
発表範囲:第3章 メディアの「悪影響」を考える 

[概要]
 テレビと暴力について、50年代以降凶悪犯罪が増加し、犯罪に若年層が関わることが多くなった背景から、アメリカでは公的に議論が進められた。1970年代以降の調査研究の多くで、暴力シーンの多いテレビ番組を見る子ほど、日頃の素行で暴力的傾向が強いとされたが、その背後には別の要因があるのではないかという疑いもあり、関係は明らかになっていない。一方、日本では、暴力シーンの描き方がアメリカとは異なり、保育者と共視聴されるなどの理由から、テレビの暴力シーンは暴力的傾向に結びつきにくい。
 またアメリカでは、番組の中身だけでなく、テレビを過剰に見ること自体が子供にどのように影響を及ぼすか議論されてきた。生後六ヶ月以上はテレビと現実世界を区別しているため、テレビ視聴が多動的傾向を誘発する可能性は少ない。また、テレビが言語発達を阻害するという指摘もあるが、必ずしもテレビが中心的な原因とはいえない。
〈質疑応答〉
なし
〈補足〉
・アメリカのメディア研究では、プロパガンダが行われたことから、メディアには影響力があるという見方での考え方が強い。
・また、アメリカは規制が強い。背景として、最初期の移民は生活が安定しておらず、エリート階層は移民社会を正しい方向に導こうという意識が強かったから。これによってアメリカでは、規制されたことでジャンルの棲み分けができ、過激なものでも禁止されないスタイルが確立した。

(2) 山岡グループ
発表者:山岡、荒木
課題本:松田美佐『うわさとは何か』(2014)
発表範囲:第4章 人と人をつなぐうわさ・おしゃべり 第5章 メディアとの関係ーネットとケータイの普及のなかで

[概要]
第4章
 人との関係を築く上でうわさは役に立っている。うわさは秘密の共有から生まれる親密性や不安な気持ちの共有など、人とのつながりを強める力がある。また、ゴシップには、情報機能、集団規範の形成・確認機能、エンターテインメントの機能といった3つの機能が備わっており、ゴシップは個人にとっても集団にとっても必要なものなのである。
 また、私たちはマスメディアの情報を権威づけ、他とは異なる価値につなげる傾向がある。そしてその中でもニュースを特別視するが、実際には文化的に構成されたもので、ニュースに値すると判断された話を取り上げられたものなのである。つまり、人々の関心を集めるような題材を取り扱うメディアは、それを「事実」として社会に広げいているのである。
第5章
 うわさについて考える上では、内容だけでなくそれを伝えるメディアを考える必要がある。なぜならば、メディアの形式がうわさの成立そのものに関わっているからである。例えば、固定電話が主流でファックス・コピー機が一般的に使われていた時代と、ケータイが主流な時代とでは、生じるうわさも異なる。
 また、日本で高度経済成長期を迎え、一般家庭に電話が普及すると、それにより人と人との関係性も変容した。あたがいに付き合う相手を自由に選び合うような選択的人間関係が広がったのである。この現象は全世代に当てはまるため、「都市化」という広い文脈で検討するべき現象である。
〈質疑応答〉
質問1:4章について、具体的なバッシングの例があればあげてほしい。
回答:漫画やネットなど新しいものに対するバッシングがあった。
質問2:当たり屋のチラシはどのように広がったのか。
回答:チラシはコピーやFAXで広がった。全て同じチラシではなく、新たなチラシがいくつも作られて広がっていく仕組みだった。
質問3:うわさとうわさではない情報の違いについて、筆者はどのように分けているのか。
回答:ニュースを事実性があるものではあるが、事実性だけでなく主観的な関心なども含まれているものであるため、ニュースとうわさは近いところにあると筆者は考えている。
補足:うわさの前提として、人間関係を通じて広まる点が挙げられる。一方で、うわさについて報道するとうわさが情報として広まり、うわさが権威づけられる結果となる。
〈補足〉
・ゴシップと社会的な関係について、男性は退職後社会的な関係を築きにくいという研究がある。
・次章で選択的人間関係という言葉が登場する。反対語は宿命的人間関係。都市のライフスタイルは選択的人間関係を築くことが可能である。

(3) 三浦グループ
発表者:稲葉
発表本:佐藤卓己『流言のメディア史』(2019)
発表範囲:第5章 言論統制の民意―造言飛語と防諜戦 第6章 記憶紙の誤報―「歴史のメディア化」に抗して

[概要]
第5章
流言やデマは元々根拠がなく、事実を曲げたものであるから、何処かに矛盾があるものである。そのために、流言の受け手は、批判的に相手の言うことを分析する必要があるのである。
怪文書の読者も、教養や知識量が乏しい訳ではなく、むしろインテリ層が読んでいたという。当時の紙面は面白さを買われるものの、その内容を信じられてはいなかった。戦前の流言は、流言浮説罪によって取締られていた。それよりもさらに重罪なのが、造言蜚語罪である。この「流言蜚語」から「造言蜚語」への変化は、平時と戦時の境界を消し去った総力戦体制の画期である。総力戦の一側面である宣伝戦においては、国民は情報を自ら分析する能力をつけなければならない。しかし、長期戦の下で流言対策の戦時立法は強化され、最終的には流言も風説も全て「造言蜚語」として重罰を下すことが可能になったのである。
第6章
 新聞の内容に誤報が生じるのは、新聞間の競争と正確さより興味を優先する消費者の存在があるからである。さらに、人からの話を聞いたままに報道する「新聞記者の機械人間化」も指摘されている。特攻の戦果報道の大半はメディア流言と評すべき内容だが、その記事を見て国民が感動すれば、軍部も特攻を中止できなくなる。虚構と知りながら、感動を優先する「メディアの論理」で特攻記事を掲載した新聞の責任は重い。戦後においても、事実よりも読者への効果を重視するジャーナリズムに本質的な変化はなく、誤報が生まれる背景には、歴史的事実よりも国民的共感を重視する「歴史のメディア化」がある。だからこそ、新聞は歴史家による後の検証に向けて、情報公開に積極的になるべきなのである。
〈質疑応答〉
なし
〈補足〉
・当時の新聞記者の社会的地位は低かった。報道現場にいる人々はヤクザと同じような扱いを受けることも少なくなかった。地位が高くなったのは、大手マスコミが人気就職先になってからである。
・爆弾三勇士報道
 日中戦争時、3人の兵隊が導火線に火を付けたままで爆弾を持って戦地に乗り込んだ。これについて新聞社が競って報道した。実は誤報であった。実際は、爆弾を運んでいた際、1人が銃撃を受けて死亡し、残りの2人は爆弾で死亡したというものだった。本社は感動的なニュースを求めていたため、誤報と知りながら報道した。

2 反省
質疑応答が少なく残念だった。

作成:手島
編集:三浦