2023年度:問題分析ゼミ[8]

2023年度問題分析ゼミ第8回の議事録です。

日時:2023年 6月 20日(火)15:20-18:50
会場:リバティータワー1141教室
参加者:17名
江下、許田G(名)、阿部G(名)、内山G(名)、福井G(名)
欠席者:4名
遅刻者:2名
早退者:2名

1 グループ発表
(1)福井グループ
・発表者:伊藤
・課題本:『日本流行歌変遷 歌謡曲からJ・ポップの時代』(菊池清磨、2021)
・発表範囲:第二章「《リンゴの唄》からロカビリー旋風へ」 第四節「歌謡界の変貌」、第五節「新しい歌謡曲の時代」、第六節「新しい波とロカビリー」、第七節「1960年代の歌謡界」
[概要]
第四、五節
昭和30年、1960年は高度経済成長の影響で戦後の一つの転換点となった。新旧の交代の時期となり、旧来のスタイルはヒットが生まれなくなり、望郷演歌と都会的なムードの流れが生まれた。
第六、七節
旧世代の価値観、道徳に反抗する風潮のなかでロカビリー流行が培われていった。その影響もあり、性犯罪が戦前の六倍に達した。また、民衆運動の挫折による虚脱感・虚無感を表現する曲も流行した。それらの流行による社会問題が発生するにつれて、旧来のスタイルが再注目されるようになった。

【補足事項】
集団就職をした人たちはほとんど地方出身の人たちであり、都市化が進んでいた時代に集団で都市に出向き、そこで各々の就職先に散るという形をとった。当時は非常に重宝され、「金の卵」とも呼ばれた。ティーンエイジャーの社会人にとって、映画館は大事な息抜きの一つであり、それはスターに会いにいく場所でもあった。また、ティーンエイジャーの社会人は貸本屋のコアな需要層でもあり、歌声喫茶(今でいうカラオケのある喫茶店)という場所でみんなで歌を歌って楽しんだ人たちでもあった。そこでは同じ地方の出身者同士が集まり、地元の話や好きなスターの話をする。集団就職があった時代にはそのようなメディア環境があった。そして、今はほとんどが地方にあるが、70年代の前半ごろまでは工場が街中にあり、そのような中小企業の工場のある街として特に有名だったのが大森と蒲田である。そういった油臭さが普通に街中にあった時代だった。

(2)阿部グループ
・発表者:南
・課題本:『ゲームセンター文化論』(加藤裕康、2011)
・発表範囲:第四章「イラスト・ノート」、第五章「快適な居場所とするための戦略」
[概要]
第四章
ゲームセンターに集う若者たちの事例を通して、イラスト・ノートにおいてイラストがどのような役割を果たしているのかを検討し、若者のコミュニケーションの一端を呈示する。
第五章
コミュニケーション・ノートは、不特定多数に公開されるが故に落書きや誹謗中傷が書き込まれ、荒らされることもしばしばある。そういった、落書きや誹謗中傷の増減の要因、それとイラストの関係について着目する。若者たちはイラストを記す中でヘゲモニー(主導権、合意形成)を獲得しつつ、人間関係を形成していくように思われる。

【補足事項】
ゲームを作る上で「世界観」をどうやって作るのかということが重要であり、まずその世界観を設定し、その後に流れや個々のキャラクターの詳細が決められる。このような場合、大体はゼロから作られるのではなく、神話に基づいている。自己承認の話などで居場所という切り口が重要になっていたが、一般にある集団の中でここが自分の居場所だと感じる時は、つまり社会学的な用語で言うと集団内で自分の役割の獲得が達成された時であると言える。そこでの他者とのやりとりが規定され、そこでスムーズにコミュニケーションができるということでもある。また、ある地位を獲得してあるポジションを把握することができることでその集団の一員となっていることを感じることができる。ノート上では、書く人が権威性を持ち、また書くだけではなくてそれが読まれることで初めてその権威性が確立される。

(3)内山グループ
・発表者:西山
・課題本:『大河ドラマの黄金時代』(春日太一、2021)
・発表範囲:第四章「金曜時代劇の冒険」
[概要]
NHKには大河ドラマとは別の金曜時代劇、後の水曜時代劇のレギュラー枠があった。そこではより自由な制作が行われ、新人抜擢や演出の方法をとったりと従来の時代劇にとらわれない作品が制作された。

【補足事項】
1970年代まではプロレスが人気で、ピークは60年代であり、その人気はプロ野球をも越えていた。プロレスの実況中継は一定以上の視聴率を取ることができる番組であった。時代ごとに人気なスポーツは違い、相撲、野球、サッカーなどのメジャーなスポーツであってもそこには浮き沈みがあり、コンスタントに人気を得ているスポーツはないに等しい。また、浮き沈みがあったスポーツとしてプロレスと並んでボーリングも挙げることができる。その時期人気のあったプロスポーツのスター選手は広告塔としての重要な役割を果たした。
この当時の時代劇は映像が残っていないため、その研究は少ない。

(4)許田グループ
・発表者:鈴木
・課題本:『ビデオのメディア論』(永田大輔/近藤和都/溝尻真也/飯田豊、2022)
・発表範囲:第二章「ビデオにおける「教育の場」と「見ること」」
[概要]
ビデオは初期には一般社会に普及していなかったが、それを普及させるにおいて教育現場での規模を満たすことが重要視された。ビデオを教育現場に導入することで教育水準の向上などの利点もある反面、導入するためにはまだ課題があったが、これらは規格統一により解決された。また一般家庭に普及させることも大きな課題であったが、使いやすいことと初期についた性的なイメージの払拭などの複雑な過程を経て、一般社会に浸透していった。

【補足事項】
当時は、ビデオデッキは気軽に買えるものではなく、店でそれらを買うときにアダルトビデオをおまけにつけることで、買い物の主導権を握っていたお父さんの購入を誘った。スクリーン向けのポルノ映画も修正が加えられていない状態で日本に入ってきたが、正規ルートとは別に、暴力団がそれらの無修正ビデオを作って売っていた「裏ビデオ」というものがあった。孫コピーやひ孫コピーのビデオもおまけとして流通しており、レンタルビデオ市場がなかった時は売り切りの形を取っていたという前提があったため、コピーであってもおまけとしてついてくることはセールス力があった。
教育教材としては、航空業界は早い段階から映像を導入していた。着物の着付けや、一般の学校においても視聴覚教育が広がっていった。

2 反省
特になし

作成:細野
編集:内山