2022年度:問題分析ゼミ[6]

2022年度問題分析ゼミ第6回の議事録です。

日時:2022年5月24日(火)15:20~18:15
会場:リバティタワー1141教室
参加者:20名
江下、村川G(4名)、三浦G(5名)、米田G(5名)、山岡G(5名)
欠席者:1名
遅刻者:0名

グループ発表
(1) 村川グループ
・発表者:田中、手島
・課題本:『平凡パンチの時代』(塩澤幸登著、2009)
・発表範囲:第1章 報道班撮影担当、長濱治、第2章 横尾忠則と死亡遊戯
[概要]
《第1章》
『平凡パンチ』の報道撮影担当の長濱治について、また当時の雑誌の特徴について語られている。
《第2章》
横尾忠則は『平凡パンチ』に掲載されることで注目を集めたデザイン作家である。彼は『平凡パンチ』を様々な面から自身の芸術にとって大きな存在であったと述べている。
〈質疑応答〉
質問1:横尾が提供したデザインの娯楽とは何か。
回答:大衆に受け入れられなかったが独自のグラフィックデザインを制作していた。最近ではテレビのタイトルバックやカットも担当している。
質問2:横尾による「精神世界」とは何か。
回答:横尾がインタビュー内で発言した内容である。自分が重要だと感じている問題は自分の外ではなく内側にあり、自分以外に問題であるものはないということである。
質問3:横尾がサブカルチャーのアイドルとして活動していたとはどういうことか。
回答:テレビ出演やレコードの販売、顔出しでの活動を行っていたため現代のアイドルと近いような形で活動していた
質問4:平凡パンチが抽象的な内容からミドルティーンやハイティーンの男子が興味を持ちそうな内容(車、ファッション、グラビアなど)へと方向転換を行ったのか。
回答:若者が興味を持つ内容のものを生み出していくという点で抽象的である。
質問5:平凡パンチの編集社の採用形式がどのようなものだったのか。
回答:編集者がデザイナーとして活躍していた横尾や、無名でもおもしろい人間をスカウトしていた。
質問6:格差の隙間とは何なのか。
回答:長濱治が外国でのありとあらゆる体験やアメリカへの憧れを活かして、日本文化に新たな文化をもたらしたこと。
質問7:それは風景画ではないのか。
回答:アウトサイダー系のヒッピーな内容であった。
〈補足事項〉
『平凡パンチ』は1964年創刊。若い男性向けの総合娯楽雑誌。当時のサンデーやマガジンは小学生から中学生向けの雑誌であった。そのためミドルティーンやハイティーンの男子が興味を持ちそうな内容(車、ファッション、グラビアなど)であったことが革新的であった。18歳の団塊世代(1946年生まれ)を狙った。
昭和から大正にかけてはイラストが雑誌のメインとなるケースが多かった。

(2) 米田グループ
・発表者:齋藤
・課題本:『『平凡』の時代 1950年代の大衆娯楽雑誌と若者たち』(阪本博志著、2008)
・発表範囲:第1章 『平凡』の時代とは
[概要]
「平凡」が働く若者の間で人気を博した1950年代には様々な断裂や対立が存在したが、平凡はそれらの対立を超える可能性を秘めた雑誌であった。
〈質疑応答〉
質問1:『キング』と『平凡』で読者層が異なったのは当時の大学生と若者の間に断絶があったことに加えて、内容にも差異があったのか。
回答:内容にも違いがある。『キング』は大きくて厚くて、グラビアが1割ほどしかなかった。それに対して、『平凡』はキングの半分ほどの厚さでグラビアも多く、ルビがふられていた。
質問2:知識人の中では『平凡』を支持する意見はあったのか。
回答:東京大学出身者でも平凡出版社に就職するものがいた。また、京都大学での中では「平凡を読む会」というグループがあった。

(3) 三浦グループ
・発表者:ハン
・課題本:『「アイドル」のメディア史-「明星」とヤングの70年代』(田島悠来著、2017)
・発表範囲:第2章 1970年代の社会状況と「明星」
[概要]
1955年から73年まで、18年間の高度成長は大型の好景気の繰り返しで、日本は1962年に世界第2位の国民総生産を上げるに至った。「消費革命」で物質的な豊かさを実感できるようになると同時に産業構造も転換され、日本全体が農村社会から都市社会へと移行していくこととなった。生活が物質的にも精神的にも豊かになり、中流意識が広がるに従って、「私生活主義化」「マイホーム主義の浸透」ができ、これは「近代家族」という概念で戦後日本の標準家族モデルとして定着していった。
〈質疑応答〉
質問1:アイドルはもともと「偶像」という意味であるが、アイドルポップスは大衆にとってはどのようなものだったのか。
回答:10代の若者向けの、同世代の若者によるポップス。演歌と区別されたものである。アイドルは時代によって大きく意味合いが変化するため、具体的な定義はされていない。
〈補足事項〉
アイドル→声の美しさやパフォーマンスで人気がある人、人々は姿に熱狂するようになる。
歌手→歌の魅力で人気がある人、メディアを対象に歌っていた。専門的な歌の技術・知識・歌唱力を持っていた。
プレスリー以降、曲だけではなく存在そのものが人気を持つアイドルが生まれてきた。
洋楽をティーンエイジャーになじみのあるようにしたものがポップスである。
1955年の高校進学率は55%である。
都会は進学率が高いが、地方では進学率が低い。
60年代のエンタメは中卒で働いている人向けの規模を確保していた。
60年代後半『ヤング』→新しい感覚を持った集団

(4) 村岡グループ
・発表者:田島
・課題本:『「キング」の時代----国民大衆雑誌の公共性』(佐藤卓己著、2002)
・発表範囲:第1章 講談社文化と大衆的公共圏、第2章 講談社文化と岩波文化
[概要]
「宣伝狂」野間清治によって創刊された雑誌『キング』が、「国民的雑誌」となったのは、莫大な規模の宣伝効果、時代背景、読者層を合わせた内容を掲載すること、この3点が秀でていたからである。
〈質疑応答〉
質問1:プロレタリア的公共性を掲げた知識人たちはキングに対してどのような考えを持っていたのか。
回答:資本主義的な秩序の維持のために活用されていた。
質問2:公共性とはどのようなものか
回答:公共性=公共圏というような意味合いで使われている。
質問3:キングはどのような内容だったのか
回答:主に「情報」「教養」「娯楽」
〈補足事項〉
公共圏=誰もが自由に意見を表明できる空間
娯楽雑誌の構成要素は「情報」「教養」「娯楽」の3つ
講談社は読み物を重視していた。立身出世物語が好まれる。

作成:斎藤
編集:三浦