2023年度:問題分析ゼミ[6]

2023年度問題分析ゼミ第6回の議事録です。

日時:2023年6月6日(火)15:20-18:50
会場:リバティータワー1141教室
参加者:14名
江下、許田G(3名)、阿部G(3名)、内山G(4名)、福井G(4名)
欠席者:6名
遅刻者:0名
早退者:2名

1 グループ発表
(1)阿部グループ(2班)
・発表者:小林
・課題本:加藤裕康『ゲームセンター文化論』(2011)
・発表範囲:序章『ゲームセンターの若者たち』、第1章『ゲームセンターへの視線』
【概要】
「序章」
序章では実際のゲームセンターの中での若者たちの交流から特にゲームセンターに交流用においてあるコミュニケーションノートを使ってやり取りをしている人々の文化についてノートを頻繁に利用している二人に直接インタビューを行い、ノートに書きこむ人々がなぜコミュニケーションノートを使い、ゲームセンターに訪れるのかということについて、詳しく当事者の内面にまで深堀していく。そこからゲームセンターの悪影響論が浸透する中で実際はいかなる空間なのか考察を進めていく。

「第1章」
1970年代にビデオゲームが登場し、特にインベーダーゲームはそれを目的としたカツアゲなどが起こりゲームセンターの印象を悪くした。さらに家庭用ゲーム機のファミコンが大成功した中でビデオゲームに対する批判が起こる。悪影響論を支持する研究も行われたがそれらは悪影響を前提として調査されたもので信ぴょう性に欠ける部分があった。一方でビデオゲームを主体的な新しいメディアとする研究も現れ、ビデオゲームは人々にどのような影響を与えるのか考察していく。

【質疑応答】
質問1:「1970年代の高校生をどのように想像するか」(江下先生から)
回答:チャラチャラしているイメージ ※補足1参照
質問2:「コミュニケーションノートのようなものの例」(江下先生から)
回答:原爆ドーム、アイドルのグッズ売り場、温泉地
【補足事項】
補足1:大阪万博、70年代の高校野球・オリンピックが想像する手掛かりになる。
補足2:ゲーム悪影響論⇒相関関係と因果関係が区別されていないケースがある。

(2)内山グループ(3班)
・発表者:池村、西岡
・課題本:春日太一『大河ドラマの黄金時代』(2021)
・発表範囲:第1章『大河ドラマの誕生』、第2章『試行錯誤』
【概要】
第1章
映画に対して活気のないドラマを変えるべく長澤泰治は大河ドラマを始動する。しかしスターの出演拒否や過密スケジュールの管理など課題は多くあった。粘り強い交渉や効率化により成功をおさめ、1作で終わると思われた大河ドラマは翌年も続いていく。

第2章
『花の生涯』、『赤穂浪士』のヒットにより、大型娯楽時代劇は「大河ドラマ」にレギュラー昇格し、その後も制作が続いた。キャスティングの工夫や完全オリジナルの原作など新たな試みをするも、体制が整備されない中での撮影は苦難が続き、プロデューサーや演出家たちは模索しながら必死に作品を作り上げていった。

【補足事項】
急に出てきたコンテンツに対して、制作者や役者は参加をためらうことが多い。(格下のコンテンツだと思われやすいため。)

(3)許田グループ(1班)
・発表者:許田
・課題本:永田大輔、近藤和都、溝尻真也、飯田豊『ビデオのメディア論』(2022)
・発表範囲:序章『ビデオのメディア論に向けて』
【概要】
コロナ禍によって顕著になった、「学習の道具」や「娯楽」として映像に関わることについて、ビデオの発展を背景に持つメディア論/メディア史的な考察を行う。ビデオへの着目は既存の学問領域を超えた文化記述を示すことが可能である一方で、その多様さが故にひとつの研究体系にまとまらなかったという側面もある。ビデオカメラの発展は、ビデオの映像文化へ貢献した。

【補足事項】
ビデオレコーダーというハードウェアは日本のメーカーにとってシンボル的なものであった。カラーテレビでようやくメイドインジャパンの品質が上がり、ブランディング力が問われた。家庭用ホームビデオの開発が成功した(ソニーのVCRなど)。VTRは日本の製品が成功したことの象徴であった。ビクターが2時間録画できるものを開発し、アメリカでヒットした。

(4)福井グループ(4班)
・発表者:藤原、福井
・課題本:菊池清磨『日本流行歌変遷史』(2008)
・発表範囲:第一部『歌謡曲が美しかった時代』第1節『歌謡曲の誕生』、第2節『SP レコード歌謡の隆盛-各社ヒット競争』、第3節『昭和SPレコードの花盛り』、第4章『戦争と歌謡曲』
【概要】
第1節
大正から昭和にかけての録音技術の発展とそれにともなう流行歌の変遷について。

第2節
モダニズムの栄枯と藤山一郎、東海林太郎、古賀政男の活躍について。

第3節
古関裕而「軍歌の覇王」と呼ばれた。代表曲『神風特攻隊の歌』『オリンピック・マーチ』など。軍国歌謡に対する見方は二通りある。軍歌と軍国歌謡は完全に区別され、戦争責任は問われないとする考え方と、軍歌と流行歌が重なったものなのである程度の責任は問われるべきとする考え方。古関の歌は練習生の気持ちを汲み取った歌が特徴だが、人々の戦意高揚の効果も否定はできない。

第4章
「軍国歌謡は軍歌と完全に区別されるべきだと思うか?また、軍国歌謡を作曲することは戦争責任を問われる行為だと思うか?」

【補足事項】
補足1:「はやりうた」、「はやり唄」等の違いに留意する。
補足2:「ジャズソング」と「ジャズ」は違う。「ジャズソング」=当時日本に入ってきた洋楽
補足3:昭和10年前後がどういった時代なのか?というイメージを持つことが大切。
当時をイメージするためのヒント⇒「装苑」の創刊が昭和11年。モボ・モガが登場するような余裕が都市部にはまだあった。これまでは軍国歌謡をエンタメとして楽しめたのではないか。軍国の雰囲気が変わったのは昭和14年であった。

2 反省
形式もテーマも新しくなったため、より活発な議論や質疑応答が行われるようになったら良いと思った。

作成:南
編集:内山