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連載コラム 多面鏡:1999年5月(1)[1999年5月13日執筆]
「France News Digest」(France News Digest/発行)
江下雅之

視線の強さ

 日本人旅行者の中には、アラブ系の人が多くいると、何となく不安を抱く人がいるらしい。彼らが睨みつけるから、というのがその理由だが、実際のところ、これは決して人種的な偏見ではなく、アラブ人のコミュニケーション行動の特徴として指摘されることである。日本では、相手を睨むことを「ガンを付ける」と表現することがあるが、少なくとも目線の交錯は好意的なメッセージとは解釈されない。だからこそ、不用意に目をあわせることを避けるわけだが、文化圏によっては、それが逆に敵意を示すメッセージともなりうる。非言語コミュニケーションの中でも、「目」は多くのメッセージを持ち、その意味するところが、文化圏によって異なるから注意が必要なのだ。
 コミュニケーション学者のA・マレービアンや行動学者のE・T・ホールの研究が示すところによれば、公共の場で親愛の情を示すとき、アラブ人やフランス人は、相手を見つめあい、身体的な接触にも積極的な傾向が見られるという。日本人の感覚は正反対だ。小津安二郎映画は日本的美意識の粋と言われるが、それを支える表現様式の一つに、目線の避け方があると分析する評論家がいる。日本人の伝統的なコミュニケーション感覚では、公共の場で目をあわせることは避けられる。日本では対人恐怖症の例として、視線恐怖という現象が発生するが、フランスなどではそもそも「対人恐怖」に相当する単語がなく、逆に「誰にも見られないことの恐怖」が存在するという。
 相手の目に投げかける視線に関しては、情熱的なラテン系の人よりもアラブ系の人の方が強烈だ。押しの強いアメリカ人でさえ、アラブ人の視線の強さにはたじろぐという。旅行者に視線を投げかけるのは、アラブ人にとっては好奇心の表現にすぎないのかもしれないし、ただ単に公共空間に存在する一人物を眺めているだけなのかもしれない。「目は口ほどにものを言う」とはいえ、その中身を勝手に解釈するのは、異文化圏では誤解のもとなのである。


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