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ここまで把握されている! 個人情報「国家管理」の実態
週刊ダイヤモンド(ダイヤモンド社/発行)2001年3月24日号pp.44-45掲載
江下雅之

 起床後、いつものようにテレビのスイッチを入れると、内蔵ハードディスクにビデオニュースが数本届いていた。放送局のサーバーが見たいニュースだけを選りすぐって送ってくれる。
 ニュースを見終えてから、朝食の用意に取りかかる。冷蔵庫は一日分の量を入れられるだけの大きさしかない。内蔵コンピュータが食料品の消費状況を常時チェックし、必要に応じて自動的に近所のコンビニに発注する。
 朝食後は洗顔とトイレに。洗面台の大型液晶モニターに上半身の姿が映し出される。電話がかかってくれば、そのままテレビ電話として使える仕組みだ。トイレに入ればセンサーがメディカルチェックを行ない、異常があればネットワークを介して対策を講じてくれる−−。
  ☆
 以上は二〇××年のある日の朝における日常風景の一コマだ。この種のテクノロジー物語は、インターネットの普及によって俄然、現実味を帯びている。
 一九八〇年代からすでに家電製品や空調機器などにはマイコンが搭載され、特定機能を持った"コンピュータ"と化した。自動車も然りである。エンジンは高度なMPUで制御され、サスペンションや操舵系統にも電子制御が取り入られ、ついにはカーナビなど運転を支援する端末も普及し始めた。自動車とは、いまやコンピュータの塊なのだ。
 個々にコンピュータ化が進められた機器類がネットワークを通じて有機的に結合されれば、冒頭に示したストーリーは夢ではなくなる。インターネットは急速に普及しており、携帯電話からも接続できるようになった。加えて、そして首相の施政方針演説でも言及された"IPv6"というプロトコルによって、インターネットに接続できる端末の数は無限大に拡大する可能性がある。先述した家電製品、自動車などもネットワークにつながるだろう。
 冒頭のストーリーは二〇××年ではなく、二〇〇×年にも実現するかもしれない。

自動車の通行記録から
通信内容まで国が「監視」

 しかし、光が強ければ強いほど影も濃くなるように、享受できる利便性が大きければ大きいほど、それと引き替えにもたらされる脅威も深刻となる。バラ色のネットワーク社会の裏側にあるのは、牢獄状態ともいうべき苛烈な監視社会である。
 冒頭のストーリーについても、見方を変えればそのまま次のように読み替えられる。 「誰かがいつもあなたの見たいニュースをチェックしている。誰かがあなたの起きがけの姿を覗いている。誰かがあなたの食生活を管理している。誰かがあなたの虫歯の数から大小便の中身まで知っている。あなたが意図しなくても、自動的に伝わっている」
 さまざまなサービスを享受できるかわりに、二〇××年のあなたの個人情報は二十四時間、誰かの視線にさらされている。そして、その誰かとは、場合によっては「国家」かもしれないのだ。
 絵空事ではない。すでに、個人情報管理の兆候は現れている。たとえば、高速道路だ。料金所ではナンバープレートがカメラに撮影され、通行券にナンバーの下二桁が刻印される。道路にはあちこちに通称「オービス」と呼ばれる速度自動監視器がある。さらにここ十数年、警察庁の自動車ナンバー自動読み取り装置(通称「Nシステム」)が、国道や高速道路を通行する自動車のナンバーを網羅的に記録している。
 全国規模で個人の通行記録を捕捉するのだから、監視装置としてはコンビニなどの防犯カメラとは桁違いに強力だ。
 しかしこのNシステムでさえも、ネットワークが浸透した近未来社会で実現しうる監視システムに比べれば、まだまだ「寛大」といえる。Nシステムはカメラの前を通過する車のナンバーを記録するだけの、いわば受け身の監視装置だ。ところが、もはやコンピュータの塊である自動車が、なんらかのサービスを利用するためにネットワークに接続していればどうなるか。自動車が勝手に自らの所在を監視者に知らせてしまうことになる。
 しかも、我々を監視している装置は「目」だけではない。いたるところに「耳」もある。すでに国家レベルで巨大な通信傍受システムが構築されているということが、イギリスやニュージーランドのジャーナリストたちによって明らかになった。
「エシュロン」と呼ばれるそのシステムは、第二次大戦後間もなくアメリカとイギリスとの秘密協定によって構築が始まった。冷戦時代には東側諸国のミサイル発射信号を察知すべく、世界各地の米軍基地に傍受用の巨大なパラボラアンテナが建設された。そして冷戦終結後、パラボラアンテナは電話などの地上波中継局に向けられ、米国の国家安全保障局(NSA)が中心になって運営されているという。米英によって極秘裏に構築された傍受システムは、九〇年代末に欧州議会で大スキャンダルに発展した。
 エシュロンは全世界の通信や電子メールを傍受対象にでき、傍受された通信は中継基地を経て米国のNSA本部に転送され、キーワードごとにデータベース化される。「日本赤軍」というキーワードを入力すれば、それに対応した通信記録を瞬時に検索できる。エシュロンは、世界中のあらゆる通話を常時監視しているわけではない。しかし、その気になれば、世界中の通信内容をエシュロンの監視下に置きうるようだ。
 個人の行動を監視する国家の「目」と「耳」は、すでに動き始めているのである。

国家による監視なくして
利便性享受はあり得ないジレンマ

 もっとも、国家による「監視」が無条件に「悪」だとは言い切れない。Nシステムが実際に犯罪捜査で威力を発揮したことは、効率の点で議論の余地はあるが、認めないわけにはいかないだろう。坂本弁護士一家殺害事件やルーシー・ブラックマンさん失踪事件でも、容疑者の足跡はNシステムから把握された。エシュロンについても、国際的なテロリストの検挙に威力を発揮したという指摘がある。
 治安以外の面でも、国家の監視を許容することで多くの実益が得られる。たとえば、国民総背番号制だ。語感からしていかにも弾圧的なこの制度は、人権問題に敏感なEU諸国ですら、統一的な社会保障番号というかたちですでに浸透している。そういう国では社会保障番号がないと正規の報酬活動には就けない。納税申告でも健康保険でも社会保障番号が必須だ。公的負担の徴収を公正に進めたり、事務を簡素化するためには、総背番号制は合理的な仕組みといえる。
 いわゆる電子マネーにしたところで、本格的な普及を進めるには統合的な個人情報管理が不可欠で、総背番号が必要となってしまうだろう。ネットワーク社会は匿名社会だなどという指摘もあるが、商取引に関しては、まったく逆の側面がある。現金ほど匿名性の高いシステムはない。誰が持っていようと、一万円札は一万円の価値を発揮できる。しかし、電子マネーという制度は、取引のたびに「誰が支払うのか」を厳密に確認する手続きが不可欠だ。
 アメリカやフランスでクレジットカードやデビットカードが普及した背景には、個人の信用力を基盤にした個人小切手が浸透していたという前提がある。カード化は信用照会をスムーズに進める合理的な目的に適っていた。かたや、個人消費では現金取引が中心の日本では、電子マネーの普及とは、慣れ親しんできた匿名社会を放棄し、個人の支払能力を逐次監視される状況を、ゼロから受け入れるという根本的な転換を意味する。
 このように、ネットワーク化の利便性を享受するには、監視を許容するという交換条件が避けられない。逆に、監視を許すことではじめて、ネットワーク化の恩恵が得られるともいえる。バラ色のネットワーク社会像を描いたり、監視のデメリットを過度に警戒することには意味がない。監視を許すだけの利点があるのかどうかを常に点検し、「監視される国民」が「監視する国家」を監視し得るシステムを確立することこそが重要なのだ。

監視カメラ社会
—もうプライバシーは存在しない—
江下雅之/著 講談社+α新書
2004年2月、882円
2004年上期に16件の書評が掲載されるなど、多方面で注目されています。

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