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聖教新聞(聖教新聞社/発行)2000年5月4日号
江下雅之

 あたらしいシステムが普及の初期段階にあるとき、セキュリティ対策は後手にまわりがちである。これは危険に対する認識が不足しているからではなく、そうならざるをえない理由があるのだ。そもそも普及すらしていない状況を前にして、我々はどの程度まで危険を予測できるだろうか。予測が可能なのは、あくまでも状況が見えている範囲内でのことである。しかし、その状況そのものが、現実の普及像のごくごく一部にすぎない。
 電話が初めて世に登場したとき、開発者たちは有線放送としての仕組みを想定していた。高校生たちが携帯電話で常時雑談を交わす光景など、彼らは想像すらできなかったはずである。かりにそういう未来像に言及したところで、周囲からは一笑に付されただろう。あらゆる社会システムは開発者の想像を超えた方向で普及が進む。セキュリティ対策が追いつかないのは当然なのだ。
 とはいえ、過去の多くの前例を調べておけば、避けられること、対応を準備できたはずのことも多い。が、過去の教訓が生かされていない事例がいかに多いことか。
 たとえば官公庁のホームページがクラッキングされた事件は記憶にあたらしいが、コンピュータ・システムが外部から侵入されるという事例は、九〇年代初頭のアメリカではノンフィクション小説の定番ともいえるものであった。それよりはるか以前にも、SF小説や娯楽映画でさんざん扱われていた題材である。にもかかわらずクラッキングが発生したということは、担当者の不勉強か、あるいは件のホームページ自体をたいして重視していなかったかのいずれかであろう。
 最近話題のデビットカードもまた、セキュリティ対策がなおざりにされていると考えざるをえない。NTTのテレフォンカードが、磁気カードゆえに容易に偽造された教訓はどうなったのか。推進側は、不正使用への対策も取っていると弁明するが、セキュリティとは、何重もの対策をほどこすのが基本中の基本である。なぜ偽造が困難なICカードの普及まで待てなかったのか。EU域内でデビットカードが普及しているからといって、むやみに追いつくべき必要性などない。普及が進んでいる地域には、それ相応の社会生活史的な必然性があったのだ。表面だけを追いかけようとすれば、どこかに無理が生じてしまう。そして無理の多くは、安全対策にしわ寄せが来る。セキュリティ対策のためのコストは、普及初期段階にはえてしてマイナスの投資と見なされがちだからだ。
 もちろん、すでに一千万人以上もの個人がインターネットを利用する時代にあっては、ネットワークのセキュリティ対策を産業側だけに押しつけるわけにはいかない。ネットワーク社会では、「善良な市民」が加害者となることもある。たとえばインターネットに多少精通した人なら、神戸市須磨区で起きた小学生殺傷事件の容疑者となった中学生の実名を知っている。むろん、少年の名は一切報道されていないが、容疑者が逮捕されて間もなく、インターネットの随所で少年の実名を探る動きが活発化し、それが判明するや、あちこちでその情報が流れたのである。
 情報を流した人は、個人の良心にもとづく真剣な意図があったかもしれないが、意図がどうであれ、他人の個人情報を自分が流せるということは、赤の他人が自分の個人情報を流してしまう可能性もあるということを忘れるべきでない。交通事故をなくすには、自動車を運転する側だけの注意では不十分で、歩行者側にも不用意な行動を慎むなどの対応が不可欠だ。ネットワークでもそれとまったくおなじ姿勢が求められるのである。
 この点で最も注意すべきことは、ネットワークを推進させんとする産業側が、いささか無責任なネットワーク礼賛を繰り返すことだ。産業側はしばしば利用者の自己責任の原則を強調する。究極的にはその通りなのだが、煽る側の責任を看過すべきではない。すべてを自己責任で終わらせてしまったら、麻薬商人にはなんの罪もないことになる。最近ではネット株トレーディングがもてはやされているが、そういう煽りに対して批判的な姿勢を貫くというのも、広い意味でのセキュリティ対策といっていい。
 もはや浸透段階に入ったネットワークに関しては、各個人が具体的な安全対策を実行することが重要なのだ。あらたな便利さには、つねにあらたな危険たともなうものである。ラ・フォンテーヌの『寓話』には、次のような一節がある。セキュリティというテーマを考えるとき、この箴言を忘れないでおきたい。
「実際にやって来たときでなければ、わが身の不幸を信じない」


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