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ネットワーク・ライフ(3)
「国会月報」1993年12月号(新日本法規出版)掲載
江下雅之

普及のシナリオ —研究開発現場、そして教育社会へ—

前回は先駆者達の位置づけと重要性を示した。その中で、ネットワーク・ライフの特徴が、実は人的交流を拡大させることにある点を強調した。今回は研究者の間で通信ネットワークが不可欠となった経緯を示し、今度は教育者の間で同様な現象が進むであろうとの観測を示してみたい。

グレイ・リテラチャーと通信ネットワーク

 大学教授や研究機関の研究員の名刺に、時々見慣れない記号が印刷される例が増えてきた。住所、電話番号、ファクシミリ番号と共に、「E-mail:suzuki@xyz.or.jp」という暗号のような文字列に、お気付きになったことがあるだろうか? これがいわゆる電子メールのアドレス(宛先)である。

 電子メールはパソコン通信サービスでも利用可能なサービスであるが、研究者は Internet(インターネット)と呼ばれる国際的な電子メール網を利用することが多い。上記アドレスはインターネットの形式である。今回はインターネットの成立過程や、細かいサービス内容を述べることが目的でない。内容については、国立大学や国立研究所に問合せれば、事務局などを教えて貰えるだろう。

 研究開発活動は、一種の情報処理活動をみなすことができる。実験のようなフィールドワークであっても、結果は全て情報という形にまとめられる。実験の評価も一つの情報を生産する活動である。

 研究開発活動における情報自体の重要性は、約三十年ほど前にオンライン・データベースの開発という形で顕在化した。これは宇宙開発でソ連に一歩先んじられたアメリカの、いわゆるスプートニク・ショックに端を発したものである。以来、研究成果である論文や特許はデータベースという形でコンピュータに登録され、必要に応じて検索できるようになった。

 八十年代になると、研究成果となる前の情報が重要性を増してきた。これは、バイオテクノロジーやオプトエレクトロニクスなどのハイテク開発が加熱し、より早く開発した者が、莫大な利益を得るようになったことが一因となっている。論文などの成果となる前のアイデアや実験データなどが、極めて重要な意味を持つようになった。また、成果に結びつかなかったさまざまなデータも、境界領域の研究が重要になるにつれて、再認識される機会を持つようになった。

 このような、まったくの機密(ブラック)ではないが、論文などの出版物(ホワイト)となるに至らない情報を、グレイ・リテラチャーと呼ぶ。八十年代以降は、グレイ・リテラチャーが研究者間の情報流通で主役となりつつあると言えよう。

 一度発表された論文は、機関誌や学会誌などを通じて知ることができる。引用部分の原論文なども、執筆者に連絡すれば入手できる。「グレイ」となると、日頃から頻繁に接触のある研究者間でしか知り得なかった。ところが、距離という物理的制約がある以上、頻繁に接触できる研究者の数は限定された。

 これまで度々主張してきたように、通信ネットワークはこのような状況に最適な解決手段を与える。それに加え、八十年代半ば以降、研究者にパソコンやワークステーションなどの情報処理機器が普及した。このことが、研究者間のネットワークの発達に大きく寄与したと考えられる。今や研究者にとって、インターネットは必要不可欠な道具となった。

教育現場のジレンマ

 次に通信ネットワークが不可欠となる社会はどこか? 私が注目しているのは、中学や高校の教師の動向である。文部省の調査によれば、1990年3月末の時点で既に、高校でのパソコン普及率は百パーセント近くに達した。同時点で、中学校でも六割近い普及率となっていた。

 学校でのパソコン利用というと、教育現場での利用を想像しがちである。実際、文部省も技術家庭の中に情報基礎という過程を設けた。しかし、学校に置かれたパソコンの多くは、当初職員室に設置されていた。教育現場よりも先に、教師のOA機器という形で浸透してきた。CAI(コンピュータ支援教育)の試行錯誤も続けられているが、普及段階にはまだ至っていない。

 教師の世界は案外と閉鎖的だということだが、最近の情勢を見るとそうも言ってられなくなったのではないだろうか。最近の情勢というのは、受験産業との関連である。私は教育評論家ではないので、受験産業の役割をあれこれ批評するつもりはない。しかし、こと情報システムに関するかぎり、大手予備校のシステムは注目に値する内容を持つ。

 予備校というと、すぐ「偏差値」というキーワードが抱かれる。しかし、偏差値は予備校の情報システムのアウトプットにすぎない。教育現場は偏差値に依存し過ぎた、と言われている。より厳密には、受験産業の情報システムに組み込まれていた、と言うべきであろう。

ネットワークで脱皮できるか?

 本音の部分は兎も角として、学校は受験産業の情報システムから一応去ることを決断した。しかし、この巨大なサービス業が供給してきた情報に代わるものを、現場の教師たちはどこから求めたらよいのか?この辺りのジレンマは、文部省の通達が出される前後、盛んにマスメディアから伝えられたものだ。

 いずれにせよ、現場が情報を必要とするのは間違いない。少なくとも、一人の教師、一個の学校が受験産業の果した役割をカバーすることは、現実問題として不可能であろう。どうやって試験問題を作るか?何を基準に進路指導を行うか?……ここに、通信ネットワークの入り込む余地があるのではないだろうか。少なくとも、教師間のネットワークは多くの成果を生み出す可能性がある。情報の生産者として一人の人間の力は小さい。それがネットワーク化されることによって、産業に匹敵する威力を発揮しうる。これは既にパソコン通信の電子会議室で証明されている。

 果して教師のネットワークがあくまで教師主導で構成されるのか、それとも受験産業が巧みに進出してくるのか。これはあくまでもネットワークを使う人間が選ぶべき問題である。


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