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ネットワーク・ライフ(4)
「国会月報」1994年1月号(新日本法規出版)掲載
江下雅之

人間関係の形成要因と技術の影響

前回まで三回にわたり通信ネットワークの発展と、生活上の影響について考察してきた。特に人間関係の構築に対する新たな可能性を指摘したつもりである。今回は人間関係の形勢要因を考え、それが技術的要因によっていかに変化してきたかを分析してみたい。

「縁」を形成するもの

 人間関係を伝統的に形成してきた要因は、地縁と血縁の二つであった。地縁とは、同じ土地に長く住んでいるという事実の共有である。農村社会であれば、働く場をも共有する。社会心理学の研究によれば、親しみを感じる度合は距離の自乗に反比例するそうだ。「遠くの親戚より近くの他人」であり、地理的な共通性の影響力を物語る法則と言えよう。「近くの他人」とは言っても、「遠くの親戚」が我々の人間関係の一部を形成している事実に変わりない。多少疎遠な親戚でも、冠婚葬祭の席には招待する。日本社会では、社会常識だと考えられている。フランス社会の場合、結婚式に「遠くの親戚」を招く方が希だ。親戚とは血縁で結ばれているということになるが、これは要約すれば、同じ親を共有するという認識に基づく。叔父甥の関係であれば、それが二つの段階を経ることになる。

 一方、地縁・血縁とは別に、人為的組織が原理として働く「縁」として、結社縁(=社縁)がある。地縁・血縁が運命的とも言える関係で形成されるのに対し、社縁では何らかの共通する利害が結び付きを保つ。 「結社縁」という呼称は人類学者米山俊直の命名によるものだ。社会をこのような視点から捉える発想自体は、ドイツの社会学者テニエスのゲゼルシャフトでも論じられている。現代日本社会の場合、特にサラリーマンでは生活面で会社に依存する度合が高い。必然的に会社で形成される社縁が、地縁・血縁より優先されがちになる。

 フランス社会を見ると、同じ結社縁でもその枠組みは会社組織ではない場合が多いようだ。これは本誌連載第一回目で論じた内容だが、フランス社会の場合、むしろ個人の趣味、出身校、専門分野などが、それぞれごとに結社縁を形成していると考えられる。個人主義の国とは言っても、社縁が全くないのではない。むしろ個人が同時に対等・複数の社縁に属し、多層的な構造を持つと見るべきであろう。この点、日本の大企業では、個人ベースで多層的に形成される社縁自体さえ、会社組織の内部で形成される傾向が見いだせる。企業内サークルが典型例だ。

「関係」を抑制するもの

 現代日本社会における人間関係では、社縁が優勢であることを示した。社会学者加藤秀俊は、社縁は偶然の産物であると指摘している。地縁・血縁は、生まれる前から用意された人間関係に組み込まれること、つまり、必然的・宿命的な縁であるのに対し、社縁は「たまたま形成される」縁だという。たまたま出会うことによって、出会いを繰り返すことで、関係が成立・維持されていくわけだ。無論、初対面から反発を生じ、そこまで至らない例もあろう。出会いはあくまで必要条件の一つにすぎない。

 ここで、関係成立を抑制する環境要因として、地理的制約、時間的制約を見いだすことができる。出会うためには地理的に移動し、同じ場で対面しなければならない。同じ場で対面するためには、同じ時間をそこで共有しなければならない。

 しかし、場所も時間も全て個人の都合で決定する要因である。交通の発達は、地理的制約を緩和させた。これが人間関係の形成機会を創出したか否かは不明だが、少なくとも関係維持にはプラスに働いたと考えられる。私はパリ在住であるが、毎月誰かしらか日本から訪ねてきてくれる。交通網の発達によって、対面関係の維持が容易になった一つの例だ。

 メディアの発達も地理的制約緩和に作用した。特に電話とマスメディアの影響が大きい。電話はコミュニケーションの一部に関し、地理的制約をなくした。対面に比べれば伝達可能な情報量は限定されるとはいえ、距離を解消した意義並びに影響は大きい。マスメディアによって、我々は共通の興味を持つ人、あるいは集団の存在を、地理的位置に関係なく知ることができる。社会学者ガンパートは、ある趣味の愛好者が専門雑誌の購読を通じ、「地図にないコミュニティ」を形成する可能性を示した。

 今から二十年ほど前、ラジオの深夜放送が高校生を中心に爆発的な人気を博した。「ラジオは深夜を解放する!」と表現されたものだ。これもある世代に共通の悩みや関心を一つの「縁」として形成されたコミュニティに他ならない。この二例に共通する現象は、いずれも経済的利害関係以外を絆とした点だ。会社組織による社縁とは根本的に性格は異な、むしろ大学サークルに近い。

 一つ異論があるとすれば、これらのコミュニティでは対話が成立しにくい点だ。深夜放送の例でも、DJの個性がコミュニティ維持に大きく寄与し、聴取者間のコミュニケーションが活発に行われたとは言い難い。その意味で、コミュニティらしきものを形成したとは言え、人間関係にまで昇華した「縁」となったかは疑問が残る。

 パソコン通信など、最近の通信ネットワーク上のコミュニティでは、人間関係の形成が活発に行われている点が特徴的だ。東京大学の池田助教授らのグループの調査によれば、パソコン通信のヘビーユーザーほどメンバー間の交流が活発で、人と出会うきっかけが増えたことをメディアの長所に挙げているという。

 電話は関係維持には寄与しても、関係を作るきっかけとはなりずらいメディアである。マスメディアはきっかけを与える機能はあっても、一方向的な関係にならざるをえない面がある。しかし、我々は電話を得、またパソコン通信などの手段によって、きっかけを得、さらに地理的・時間的制約のない人間関係を発展させることができるのだ。人間関係と技術との関係は、交通に次いで新たな段階を迎えたと言えよう。

 ここでは、組織の原理にしても、それを運営する規則にしても、新しい視点から再構築しなければならない。現代はその模索段階に位置すると言えよう。


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