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「国会月報」1994年6月号(新日本法規出版)掲載
江下雅之

ネットワーク社会はどのように進むか?(5)

「街」にはひとの存在が必要であり、ひとが集まる場所が必要だ。社会の器としての「街」を考えた場合、現代日本では、東京への集中と地方での過疎化という問題がある。かたや集まる場所の喪失、かたや集まるべきひとの喪失が進む。はたして「街」の吸引力は何なのか?

《フォーラム》の役割

 フランスのコミュニケーション学者フィリップ・ブルトンは、ヨーロッパ社会で「情報の伝達」が重要な役割を担うようになったのは、ギリシャのソフィストたちの時代であると指摘している。そして、ローマ時代にはひとのコミュニケーションが政治や社会活動で重要な要素となり、《フォーラム(広場)》がそのための場を供給したのだという。

 コミュニケーションの歴史は、そのまま社会の発達の歴史でもある。自給自足による孤立した生存形態から、こんにちの複雑な相互依存形態にいたるまで、コミュニケーションのありかたについて、さまざまな角度から問題提起がなされてきた。都市の機能は「職・遊・住」といわれる。いずれにしても、「ひとと出会う」ことが一つの大きな要素だ。とくに、職・遊においては、不特定多数の雑多なまじわりが重要だ。ヨーロッパ社会の場合、歴史的にこの《フォーラム》がひとと出会う機会と場所を提供した。ひとびとは《フォーラム》で出会い、そこで商売や遊びが生まれたのだ。

 この《フォーラム》は、かつては文字通りの「広場」であった。ローマの政治家たちは、「広場」で演説をおこない、大衆に情報を伝えたという。カエサルの時代には、新聞《Acta diurna》まで誕生したという。現代社会では、広場いがいのさまざまな仕組みが《フォーラム》役を果たしていた。パリであれば、街じゅうのカフェが《フォーラム》でもあった。東京ならば、赤ちょうちんが《フォーラム》役を果たしていたことは間違いない。《フォーラム》こそが「街」のいのちなのだ。

 しかし、大都市圏での職住空間の分離、地方での過疎化といった現象は、一方で《フォーラム》の場自体を喪失させ、もう一方では《フォーラム》に集まるひとを喪失させている。この点で、大都市の問題と過疎問題は完全に一体のものと見なすことができる。

東京とほかの都市の役割

 ネットワーク通信の発達で、東京から地方に移住するグループが増えつつあるようだ。たとえば、北海道十勝の「百年遅れの屯田兵の会」は、都会から移住した翻訳家、システム・エンジニア、デザイナーたちのグループだ。これらいわゆる専門的職業の仕事は、納期を守りさえすればどこでやっても構わない内容が多い。顧客は東京など大都市圏にいても、仕事そのものは地方にいてもできる。外国でも可能だ。通信や物流が発達したおかげだ。

 大都市の吸引力のひとつは「仕事があること」であった。また、「都会の毒気」というように、大都市には常に遊びごころを刺激する雑多なひとの交流があった。通信などが十分に発達すれば、少なくとも東京にいなくてもできる仕事がかなりある——先の例がこれを証明している。また、パソコン通信のような仮想都市空間が登場すると、仕事だけでなく、遊びや交流の場でさえも地理的な意味が相対的に重要ではなくなる。

 大都会の吸引力は、ネットワーク通信の発達によって、相対的に弱まるということもできるだろう。ならばその発達こそが、東京の一極集中や過疎問題を解消する特効薬になるともいえるだろう。

 ここで一つ注意が必要だ。
 たしかに一部のひとたちは、ごく簡単に東京脱出を図ることができた。しかし、彼らの生活は、大都市・東京の存在を前提にしていることも事実なのだ。東京自体の活力が損なわれてしまえば、東京脱出組の生活そのものも成立しなくなる。

 これは、少し前に話題となった、「ファブレス・カンパニー」の論理にも共通する。「ファブレス・カンパニー」とは、「製造部門を持たない製造業」のことだ。日本のエレクトロニクス産業の圧倒的な生産能力に対し、同じ生産で勝負するのは賢明ではない——そのような発想に基づいて、アメリカで一時期注目され、話題となったものだ。つまり、研究や設計などの知的所有権をおさえ、量産そのものは日本メーカーにゆだねる。このようにすれば、生産能力で不利な戦いをすることもなく、高い利益率を確保できるというのだ。代表的なファブレス・カンパニーとして、米国Microsoft社や同MIPS Technology社などが例にあげられていた。

 これも日本メーカーの存在を前提にした役割分担、あるいわ共生関係の形成にほかならない。日本メーカーと競合するのではなく、いかに利用するかという発想の転換をはかったわけだ。

相互の利用と吸引力

 これは、都市問題でも同じことがいえるのではないだろうか。東京対地方という対立的な構図で考えるのではなく、地方は東京を、東京は地方をどう利用するか——このような発想が求められるのではないか。かつての過疎対策としては、企業誘致が盛んに行われていた。花形産業の大資本が特にもてはやされた。しかし、企業側の論理はあくまでもコストのかからない拠点の確保であった。そのため、たとえ大メーカーの誘致に成功したとしても、徹底的な合理化が進められた工場が建設され、雇用対策、過疎対策の効果は小さいという例が多かったようだ。実際のところ、地方の立場からすれば、地域に定着しうる中小企業が、家族ぐるみで進出してくれた方が効果は大きいという意見もある。

 先に例示した都会脱出組に注目すると、これからは中小企業だけでなく、独立専門職のようなひとびとも、吸引力のある存在となるのではないか。そして、地方と東京がお互い利用しあう仕組みを考えるとき、それら吸引力のあるひとたちが、地理的制約を超えたネットワーク社会を築くことが、今後重要になるように思われる。

 次回はその役割分担や真に必要な都市インフラについて、もう少し詳しく分析してみたい。


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