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ネットワーク・バトル・レポート(6)
「月刊ネットピア」(学習研究社/発行)1994年12月号掲載
江下雅之

常連メンバーの「権威」

インフォーマルな権威の存在

 バトルのあげく、結果的にあるグループや個人が追い出されることはよくある。それとはまた別に、常連メンバーによる「敵対」グループ(ないしは個人)の追い出しを目的とするバトルもあるのだ。先日のぞいたフォーラムや NewsGroup でのバトルにも、そのような構図が見られた。  ニフティなどのフォーラムでは、ROM とアクティブの比率はほぼ 10:1 だという。商用ネットの会議室であれば、ある程度の ROM を確保しなければ維持できないはずだ。となれば、会議室の流れや雰囲気は、少数のアクティブによって形成されることになる。  そもそもメンバーが会議室にアクセスする理由はなにか? そこから情報をえる、あるいは雰囲気をたのしむなど、なんらかの利益がえられるからだろう。この情報や雰囲気をもたらすものが常連メンバーとなれば、ここにひとつの利益還元の流れが生じる。  別の見方をすれば、常連メンバーの言動に従うことで、非常に不安定なかたちとはいえ、利益が保証される構図ができあがる。これが、常連メンバーに一種の「権威」をもたらしているのだ。  実際、ある程度の集団を維持していくためには、権威の存在は不可欠といえるだろう。しかし、ほとんどの会議室にはっきりとした組織構造が存在しない以上、この「権威」は個人の活動によって自然発生的につくられざるをえない。  たしかにシスオペやボード・リーダーのように、なんらかの権限をもった役割は存在することが多い。しかし、利用者そのものが増加している状況では、運営グループによる話題のコントロールは、ますます困難になりつつある。それどころか、へたな管理・運営は、ネットワークでの活動の多様性を損なう危険性さえあるのだ。  もっとも、このあたらしい交流の場にどのような運営組織がふさわしいのか、そもそも運営グループのような組織が必要なのかは、まだはっきりとした答えがえられていない。依然として試行錯誤の段階なのだ。  いずれにせよ、現状では話題を常時提供するものに、自然発生的な権威が生じていることは事実だろう。

排除の構図

 どのような状況で、常連メンバーによる排除が行われるのか?  このようなこぜりあいの多いところを観察してみると、常連メンバーのつくりあげた「暗黙の習慣」が多いように思われる。  本人たちがどこまで意図的に規範化を進めているのかはわからない。しかし、それぞれのログを見ていると、特徴的な書式のようなものさえみられるる場合がある。  たとえば、Internet の fj は、ニフティなどに比べ、署名に凝る、引用の際に「誰それさんは書きました」「In article ZZZZ ID:XXXXX wrote.」といった前置きをつける、文末での余談は行頭に「#」をつける、などの傾向が強いようだ。実際に、これらの習慣のいくつかは、マナーとして捉えられている。  むろん、マナーには必然性があるはずだ。ネットワークのような「ホットなメディア」では、いらぬトラブルを避けるために、多くのプロトコルが必要だろう。手紙などは約束事のかたまりのようなものだ。  しかし、自然発生的につくられたマナーには、普遍性の問題もあるのだ。ある会議室ではあたり前のマナーが、ほかでは全く異質である可能性がある。そして、常連メンバーによる排除は、このようなマナー・ギャップで生じることが少なくないのだ。  マナーをつくりあげてきた方は、「異質なものを受け入れるために」マナーを尊重しようとする。ところが、ここではマナーの衝突によって、異質なものが排除されるのだ。ここに、自然発生的にできあがった権威のご都合主義がうかがえる。  このような現象は、本来なら一般社会でもみられるはずだろう。それが現実に回避されているのは、教育制度によるところが大きい。かなり大きな文化圏のなかで、いわゆる社会常識なり規範が伝搬されるわけだ。その点、ネットワークでは常識そのものが錯綜してさえいる。  必ずしも一般的ではないが、次のような排除の構図もある。  会議室でのみずからの権威を意識する常連メンバーがいる場合、外部からの「権威の侵入」を嫌うことがある。とくに、その分野での実際のオーソリティや有名人の進出を歓迎しない。 「○○のプロである」「○○大学の教授である」「○○社の役員である」等々のメッセージが、仮に権威のひけらかしではなく必然的な自己開示であっても、「外の権威を持ち込むな」という反応を招くのだ。外の権威でみずからの「内の権威」が否定されるのを恐れる行動だろう。  前号で紹介したように、実名主義には外の権威を重ねあわせることで、なんらかの秩序をもたらそうという発想がある。反対に、自らの「内の権威」を維持する方便として、匿名性の徹底という考えがあるようにも思うのだ。両者はまさに対局の関係だ。


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