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「国会月報」1994年12月号(新日本法規出版)掲載
江下雅之

《電脳文化》の困惑と可能性(2)

デジタル・テキストの流通は、商用データベースから始まった。コンピュータの応用範囲の拡大により、データベースは利用範囲を広めてきた。一般ユーザーを対象にしたものは少なかったが、最近のあたらしいコンセプトのパソコンは、その道を開いた。ここにあらたな芽を見出すことができる。

「紙」を越えられなかった電子メディア

 メディアとしての紙の便利さは、コンピュータが普及してからも決して否定はされなかった。OAブームの初期こそ「ペーパーレス」が叫ばれていたものの、実際にはオフィス用上質紙の需要は増加したという。

 印刷物には利点が多い。閲覧のしやすさ、特別な再生装置なしに利用できる手軽さ、簡単にメモなどを書き込める融通性がある。また出版というかたちで、ソフトウェアの流通体制が完備している。

 電子的メディアで情報を流通させるという考えは、オンライン・データベースが最初だろう。当初は索引情報だけを提供していたものが、八十年代初等には情報の中身までを提供しようとする、ファクト・データベースが普及しはじめた。しかし、商用データベースの対象となったのは、ビジネスや科学技術の分野だった。コスト的にも一般人が趣味や自己啓発などで利用するには、やや高すぎる水準である。もっとも、データベースの開発や提供は、そもそもコストがかかるものだ。

 一般利用者を対象にしたものとしては、いわゆる「電子出版」がはしりと考えていい。この用語がひんぱんに語られるようになったのは、八六年ごろだ。当時はCD-ROM(Compact Disc Read Only Memory)というメディアが注目された。米国マイクロソフト社がその年に出版した「CD-ROM : The New Papyrus」という本は、あたらしい「知の流通メディア」として CD-ROM の可能性に注目したものだ。 

 情報流通のあらたな展開は、コンピュータの普及と関連がある。商用データベースが発達した背景のひとつとして、印刷工程に電算写植機が普及したことをあげることができる。出版までの過程でデジタル・テキストが作成され、それを少々再加工するだけで、商用データベースに転用できるのだ。新聞社などが提供するデータベースでは、このような形態が一般化している。

 八〇年代の後半には DTP(Desk Top Publishing)がブームとなった。電算写植機は決して小規模なシステムではない。DTPはワークステーションやパソコン程度で精度の高い出版物を作成できるようにしたものだ。これによって、出版物作成工程のなかに、デジタル・テキスト化がほぼ一般的に組み込まれるようになったと考えられる。むろん、その前段階としてワープロの普及も見逃せない。実際、個人でワープロを作るスタイルが普及したことが、研究者の間で電子メールが普及した要因のひとつになっている。

 このようにして、八〇年代までにデジタル・テキストの供給体制はほぼ完了したと考えられる。

最近の環境変化が可能性をひらく

 利用側の環境はどうであったか? ソニーは「電子ブック」という携帯用のCD-ROMプレーヤーを発表した。それまでデジタル・テキストは、パソコンのあるところでしか利用できなかった。このような携帯化は、大きな前進だった。電子ブックのソフトとして、辞書や小説などが販売された。売り物はやはり検索機能であったと考えられる。

 前号で紹介した「電脳草子」も、じつはあたらしい端末機器の登場がひとつの契機になった。この活動をおこなう小説家・水城雄氏が注目したのは、米国ヒューレット・パッカード社の100LX(注 : すでに製造中止。現在は200LXが発売中)であった。このパソコンは大きさがほぼ電子手帳なみだ。重さは三百グラムほどで、背広のポケットに入れることもできる。そして単に小さいというだけでなく、いくつかの点で画期的なことを実現した。

 まず、「普通の」パソコンである点だ。電子手帳のようにメーカーの提供するソフトに拘束されない。パソコン通信などで流通するソフトやデータを、ほぼそのまま利用できる。利用可能なソフトウェア資産という面で、これまでの電子手帳とは次元が違うのだ。第二に、バッテリーの寿命が長い。携帯性を売り物にしたパソコンは、これまでバッテリーが泣きどころだった。かなり寿命の長いものでも一充電でせいぜい数時間しかもたない。その点この100LXは、二本のアルカリ単三電池で数十時間動作可能であるという。大容量のメモリーが利用できることも見逃せない。たしかに昔も「ポケコン」というものがあった。しかし、外部メモリーがなく、せいぜい簡単なプログラムの実行にしか使えなかった。コンセプトとしては、関数電卓の発展型といえよう。100LXの場合はフラッシュ・メモリーという大容量の記憶装置を利用できる。これはクレジット・カードを数枚重ねた程度の大きさで、最大20MB(約一千万字分)のデータを保存できる。

 このパソコンが実現したことは、「いつでも携帯でき、汎用的なデータを扱え、しかも長時間使いっぱなしにできる」ということであった。これによって、コンピュータで作られたデジタル・テキストを、いつでもそのままコンピュータで利用できる環境ができあがったのだ。むろん、100LXのようなパソコンの利用者は、まだ決して多数ではない。しかし、これはデジタル・テキストのあたらしい利用形態を提案しつつあるのだ。

 ところで、水城氏がデジタル・テキストに注目したのは、単にあらたな利用スタイルが登場したからではなかった。技術的可能性は、むしろ活動の契機をもたらしたにすぎない。デジタル・テキスト化され、ネットワークなどで流通するようになれば、事実上、絶版というものがなくなる。水城氏が最も注目したのはこの点だ。また、デジタル・テキストの形になっていれば、音声などへの変換が比較的容易だ。そうなれば、目の不自由なひとでも容易に出版物をたのしむ余地が増えることになる。実際、水城氏が電脳草子をはじめてから、障碍者から感謝の意を表す反響があったそうだ。

 出版物は紙で読むもの——長い間、これは強制というよりも、利用者にとって最適な選択肢でもあった。あたらしいタイプのパソコンの登場や電脳草子などの試みは、もうひとつ別の選択肢を加えつつあるのだ。


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