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「国会月報」1995年6月号(新日本法規出版)掲載
江下雅之

メディアと世論(1)

 この原稿の締切当日は、フランスの大統領選挙がおこなわれた。結果は事前の予想をくつがえして社会党のジョスパン候補が一位になり、優位を予想されたシラク・パリ市長は二位だった。もっとも、どの候補とも過半数の票を集めることができなかったため、舞台は上位二名による第二回投票に移された。本誌が刊行されるころには、14年の長期に渡りフランス大統領の職にあったミッテランの後任が決まっているはずだ。

 フランス人は日頃から政治の話題が好きだ。今回の大統領選挙でも、数ヶ月前から各種世論調査が繰り返し支持率を発表していた。保守派は最初からシラク氏とバラデュール首相が候補者に想定されていた。他方、決め手を欠いていた左派は、ロカール元首相、ドロールEU委員長、エマニュエル社会党書記長、そしてジョスパン元教育相というように変遷していった。

 フランスの大統領選挙は、第一回の投票で過半数を取った候補がいればそこで確定する。しかし、前回選挙で圧勝したミッテランでさえ、そのときの得票率は30パーセント代であった。たいていは第一回投票で候補者が絞られ、第二回投票で決戦がおこなわれる。

 世論調査ではまず各候補者の支持率が単純に列記される。そして決選投票を想定して二人の候補者を組み合わせ、何パーセント対何パーセントになるかを発表する。ロカール、シラク、バラデュールの三人が想定された時点では、バラデュールがあらゆる結果でトップだった。ドロール、シラク、バラデュールの組合せになると、こんどはドロールが優勢な支持を受けるようになった。そしてジョスパン、シラク、バラデュールの組合せになってから、世論はいろいろな変化を見せるようになった。

 メディアと世論の関係を考えた場合、バラデュール候補の支持率が非常に興味深い動きを示した選挙であった。バラデュール首相の支持率は、就任直後からかなり高かった。バラデュール氏自身は有能な政治家として評価されていたのは事実であるが、別にめざましい成果を挙げた、というわけではない。実際、なぜ支持率が高かったかを、フランスのジャーナリズムははっきりと説明できなかったように考えられる。このあたりは、「人気があるがゆえに人気があった」という側面が強かったように思われる。

 世論の社会心理を研究しているドイツのコミュニケーション学者、ノエル=ノイマンは、「世論はわれわれの社会的皮膚である」と主張する。世論とは各個人の意見を積み上げたものではなく、各個人が「世論だと思っている」意見を反映したものというわけだ。実際に「周囲が支持していそうだから支持する」という行動は、流行やファッションにもしばしば見られる現象である。

 ノエル=ノイマンは、さらに世論のダイナミズムを「沈黙の螺旋」という名称で理論づけた。ここでは次の三つの仮定がある。まず第一に、各個人は意見分布を認識する能力があると考える。ある争点に対し、なにが多数意見で、なにが優勢になりつつあるかを知る能力だ。第二に、大多数の個人は孤立することを恐れ、自分の意見が多数かつ優勢のときはそれを声高に主張し、少数かつ劣勢の場合は沈黙しがちという傾向があると考える。これによって、表面上優勢な意見はさらに優勢となり、劣勢の意見はますます沈黙するようになる、というわけだ。

 バラデュール候補の支持率は、大統領選挙に関するあらゆる世論調査でトップの座にあった。フランス国民に圧倒的人気のあったドロール氏が候補に取りざたされたときは、一時的にトップの座は明け渡したものの、氏の不出馬宣言以降はふたたびトップの座に返り咲いた。この時点で、「時期大統領はバラデュールで決まり」と見なす報道も多かった。このあたりには、優勢な状態がますます優勢になるという、螺旋のメカニズムがそのまま作用していたように思われる。

 ところが内閣で不祥事が続出し、国民の不信感が一気に高まった時期があった。この頃を境に、バラデュール候補はシラク、ジョスパン両候補の後塵を拝するようになった。そして第一回の投票にいたるまで、バラデュール氏は有力三候補のなかでは最下位のままであった。人気が人気の源泉である以上、すこしでも勢いが衰えてしまったら、一気に支持率が下がってしまう。「沈黙の螺旋」はバランスを持った制御メカニズムではなく、極端から極端へと流れる展開だ。バラデュール候補の支持率は、まさにこのパターンにはまった可能性が高い。

 このメカニズムのなかでは、各個人の状況把握方法がひとつの分かれ目になる。現代社会ではマスメディアの果たす役割が大きいので、テレビや新聞などの報道が「沈黙の螺旋」にベクトルをあたえることが十分に考えられる。地滑り的な展開は、往々にしてこの効果が強くあらわれたときといえよう。

 選挙の数ヶ月前から世論調査が繰り返されるフランスだが、投票の一週間前からは、その公表が法律で禁止されている。これはメディアの功罪を十分に考慮した、見識のひとつということができよう。


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