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ネットワークの《物語》を読む(16)
「月刊ネットピア」(学習研究社/発行)1996年7月号掲載
江下雅之

近親相姦はなぜタブーなのか?

生物学的な問題?

「当事者がリスクを心得ていれば、近親相姦は社会がわざわざ絶対的に否定する必要はないのではないか」
 こんな疑問が、NIFTY-Serve 現代思想フォーラムの「家族・性と社会」会議室で投げかけられた。
 ここでいう「リスク」とは、種の保存を危うくするもの、ということだ。近親交配を重ねて「血が濃くなる」状態になると、生物学的な問題がいろいろと発生する——このことはよく指摘されることだ。そのために、近親相姦をタブー視することは、種としての存続を保つために必要だから、と考えられがちである。
 ただし、会議室で提起された疑問は、タブーを否定するものではない。なぜ絶対的タブーとなっているか、ということだ。理性的な人間ならば問題点はわきまえているはず。ならばことさら強制的な制約を設けるのではなく、個人の判断にゆだねてもおかしくないのではないか、というわけだ。
 発言のなかにはなかったが、現代なら避妊の手段がよく知られているわけで、性行為が即生殖に結びついているわけではない。にもかかわらず、近親相姦という行為は忌避されるべきもの、という社会的認識が依然としてあるように思われる。また、中国や韓国のように、父系血縁集団に属する男女の婚姻を禁止する社会もある。これらの状況を説明するのに、生物学的な問題だけというのでは、やや説得力に欠けるだろう。

近親相姦がタブーでない例

 現在の先進国のほとんどでは、直系親族または三親等内の婚姻を民法禁じている。むろんこれは「結婚」という契約行為を禁じているのであって、近親相姦を法的に規制(という表現も変だが)したものではない。しかし、逆に考えればイトコどうしの結婚は、法的に認められた行為だ。結婚したカップルが子どもをもうけることは、社会的に認知されていることであるから、民法の立場からすれば、イトコ間の性的行為は近親相姦ではない、と結論づけられる。
 他方、社会によってはイトコよりも近しい間柄に、結婚を認めていた。会議室では古代エジプトの例が紹介されていた。オシリス神話からの研究によると、『王は王の娘より生まれなければならない。その父親は王でなければならない』というシステムが想定されるという話があったというのだ。
 また、これは会議室での発言ではないが、飛鳥時代の朝廷でも似たような例がある。「皇后は蘇我氏または皇族から」という状況が、推古女帝の出現以降、「皇后は皇族から」という流れに変化する。異母兄妹、叔父・姪、叔母・甥の結婚が頻繁におこなわれるようになった。実際に天智・天武・持統天皇を中心にした系図は、線が複雑にからみあっている。

利害関係がタブーの原因?

 これらの例を考えると、むしろ「家族」にかかわる利害関係が、あるときは近親相姦をタブー視し、あるときは逆にそれが奨励されるような流れになると考えられる。「家族・性と社会」会議室では、婚姻を贈与と考えるレヴィ・ストロースの説を紹介し、近親相姦が家族の利益を損なうという見解を紹介していた。ある家族の女性を父や兄がものにしてしまえば、その家族と外部との関係は制限されてしまう。他の家族に「贈与」することで、広い血縁関係を形作できる——というわけだ。
 逆に自分たちの集団の権威を拡散させないためには、「贈与」の対象を自分たちだけで独占する必要がある。そのような要請が優先される集団では、「近い」者どうしの結びつきが指向される、という解釈が成り立つ。
 会議室でも紹介されていた橋爪大三郎・著『はじめての構造主義』(講談社現代新書)には、次のような指摘がなされている。 『近親相姦は、女性が交換される「価値」であることの、裏側の面(反価値)である。近親相姦が否定されてはじめて、人びとの協力のネットワーク(つまり社会)が広がっていくのだ』
 そのうえで、インセスト(近親相姦)・タブーを『本能のようにもって生まれたものではない。また、意識的に学習できるものでもない。その両方の中間にあって、社会を生きる能力みたいなものである』としている。

現実にはどうなっているか

 実際に、どのような事例があるのだろうか。
 アダルト小説では母・息子、姉・弟、叔母・甥という組合せが題材にされることが多いようだが、これはどうも空想の世界のようだ。会議室での指摘によると、幼少時に一緒に暮したものには、性的魅力を感じにくいという心理的傾向があるという。兄妹・姉弟間に限っては、「そんな感情」はなかなか起きないというわけだ。
 裁判所やカウンセラーなどが相談を受ける例では、圧倒的に父・娘が多いらしい。その多くが父親による強姦で、一種の虐待であるということだ。


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