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業界無常識論[1]
「月刊パソコン倶楽部」(技術評論社/発行)1997年7月号掲載
江下雅之

「欧米では……」の落とし穴

 新聞記事のなかに「欧米では……」という下りがあったら、内容を鵜呑みにしないほうがいい。こういう論調の場合は、たいていニッポン政府やニッポン企業に対して批判的な内容だろう。なにも政府や企業の肩を持つつもりはないが、「欧米では」という表現は、思い込みや惰性で用いられていることが多いのではないか。実際に調べてみると、米国だけにしか通用しないか、せいぜい「米英では……」とすべき例がけっこうある。
 もちろん「欧米では云々」というボヤキが事実であることもある。金融関係の分野は典型だろう。ニッポンの金融に関する制度はとにかく奇妙だ。店舗は三時でシャッターを降ろす。キャッシュディスペンサーは24時間稼働ではない。いまだにオンラインの信用照会をしないクレジットカード取扱店が多い。
 個人小切手が普及していないことも、「欧米」とは異なる状況だ。公共料金の支払から通信販売の決済にいたるまで、アメリカでもフランスでも、用紙に小切手を同封して郵送すれば終わりである。友人とレストランで食事をし、割り勘するときも小切手に金額をサインすればいい。
 いくらクレジットカードが普及したところで、使える機会はけっこう限定されている。キャッシュレスと騒いだところで、ニッポンでは現金がなければ不便きわまりない。思うに、我らの経済行為は、個人を信用しない{・・・}仕組みが前提になっているのではないか。
 小切手は額面に数字を書くだけである。実際に支払が完了するのは、振り出し人の口座で決済されたときだ。小切手で取引するというのは、その人に支払い能力があると信じることでもある。
 現金があれば、そんな心配は無用である。誰が持っていようと1万円は1万円の価値がある。この場合は貨幣という紙に信用があるのであって、持っている個人の信用力は問われない。
 もちろん個人小切手が普及している国では、不渡りが社会問題になっている。フランス政府は共通銀行カードを使うように奨励している。それでもなお、小切手は肉屋で豚肉を買うときにも利用されているし、不渡りを発生させないような個人の信用照会システムが構築されている。こういう習慣や土台があるからこそ、キャッシュレスという仕組みが成立しうるはずだ。個人への信用という習慣のないニッポンに、はたしてインターネットで騒がれている電子マネーが普及するのだろうか。
 話しは少し脇道にそれたが、以上はたまたま「欧米では……」が適用できる例だ。反対のケースはいくらでもある。たとえば二年前、某新聞で内外価格差をテーマにした特集連載があった。そのとある回で、ガソリンの価格差を例に、いかにニッポンの物価が高いかが示されていた。比較の対象になった国はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツである。もちろんニッポンがいちばん高い、という記事だ。
 が、これは事実に反する。為替レートにもよるが、フランスでのガソリン価格はニッポンとだいたい同じか、かえって高いくらいである。97年5月時点の為替レートでパリと東京のガソリン価格を比べれば、あきらかに東京の方が安い。
 件の記事に出ていた指標によれば、フランスは3割ほど安いことになっていた。しかし、その価格で販売されているのは、ガソリンではなくて軽油である。これは推測だが、データの出典先となっていた某官庁は、単語を勘違いしたのではないだろうか。フランス語でガソリンは「essense」というが、軽油は「gasoil」である。綴りだけ見るとgasoilの方がガソリンのような雰囲気がする。もっとも、英語でもgasoilは軽油を指すのだから、フランス語を知らなくてもわかりそうなものだが。
 この推測通りだとすれば、最初から「ニッポンの方が高い」という思い込みがあったのだろう。そしておなじような思い込みは、パソコンや電気通信の分野で散見される。NTTの電話料金は「欧米」よりも高いのか? ニッポンの通信市場は本当に「欧米」よりも閉鎖的なのか? パソコンの普及は「欧米」よりも遅れているのか?
 いずれも「non」だ。いろいろな状況をあわせて考慮しても、事実とは言い切れないものばかりである。
 たとえば電話料金を市内通話で比較してみよう。France Telecomの場合、平日の8:00〜12:30と13:30〜18:00がピーク料金(tarif rouge:赤料金帯)で、ニッポンの市内通話に相当する同一区域内(Communications locales)通話で0.25フラン/分だ(付加価値税20.6パーセントを含む)。最近の為替レートで円換算すれば約5.5円/分である。
 ドイツは平日の9:00〜12:00がモーニング料金(Vormittagstarif)、12:00〜18:00がアフタヌーン料金 (Nachmittagstarif)という価格帯になっているが、この間の市内通話(city)は税込みで0.12マルク/90秒である。現在のレートで分単位の料金を円換算すれば6円/分だ。
 イギリスでもBritish Telecomの市内通話料金は決して安くはない。平日の昼の時間帯(daytime, Mon. to Fri. 8:00am to 6:00pm)は約5.5円/分プラス付加価値税17.5パーセントであり、独仏よりも高いくらいである。経済面で「欧」を代表する英独仏三ヶ国が、いずれも電話料金では「ニッポンより高い」状況なのだ。
 ただし、France Telecom、Deutche Telekom、British Telecomともに、いろいろな割引を実施している。フランスなら深夜になると大幅な割引価格tarif bleu noirが適用され、市内通話は0.08フラン/分(約1.76円/分)にまで下がる。ドイツでも21:00〜24:00と00:00〜05:00はムーンライト料金(Mondscheintarif)帯となり、0.03マルク/分(2.25円/分)だ。British Telecomの週末料金もFrance Telecomとほぼ同額である。
 NTTの区域内深夜料金は2.5円/分であるから、いちばん安い時間帯で比較すれば、「NTTの電話料金は欧米よりも高い」といっても間違いではない。長距離通話まで含めて考えれば、NTTよりも安い状況はさらに生じるだろう。
 しかし、NTTにもテレホーダイという実質的な割引制度がある。料金の基本たる市内通話ではほとんどの時間帯でNTTの方が安いし、その差は多少円高が進んだところで逆転しない。少なくともニッポンの電話料金は「欧」に比べ高いわけでないのだ。こと電話料金に関しては、アメリカが飛び抜けて安いと考えるのが自然だろう。
 通信市場の開放にしてもおなじである。たしかにBritish Telecomは大胆な国際事業を次々と展開している。が、こと通信の自由化に関しては、EUではイギリスが例外的に進んでいると考えるべきだ。実際に通信事業者の数、データ通信の普及度合い、細かなところではモデムの価格に至るまで、英と独仏とはかなり差がある。
 パソコン価格にしたところで、ニッポンの方が英独仏より安い。230メガバイトのMOディスクなど、秋葉原価格の3倍以上する。大学でインターネットアドレスがもらえるのは、理工系学部の講師以上か後期博士過程学生ぐらいのものである。コミュニケーション研究で有名なパリ第三大学には、サーバーすら置かれていない。
 個人で欧米の現地情報に接する機会が少なかった時代なら、マスコミ情報を鵜呑みにするしか術がなかったかもしれない。しかし、いまは自分で調べようと思えば調べられる。ちなみにここで示した英独仏の電話料金は、インターネットで調べたり、現地に住む知人(日本人)に確認してもらった数字である。その知人とはパソコン通信のフォーラムで知り合った。
 誰でも原データを確認できるのだ。


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