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「月刊Ellery Queen's Mystery Magazine」(光文社)
1997年9月号pp.216-217掲載
江下雅之

売春ビジネス

 米国では元ミス・アメリカが売春を強要されたとして、元モデルを相手に訴訟を起こしている。彼女はモデル事務所を開いていた元モデルから、仕事があると誘われ、契約をかわした。すこぶる高額のギャラが提示された。ところが撮影をするはずの現地に着くや、エイズや性病の検査をさせられ、夜のパーティでセックスを強いられる。元モデルは高級コールガールの斡旋組織をつくり、上客にこうした手口で派遣していたのだ。
 これとまったくおなじパターンの事件がフランスで発生した。そしてフランスと中東の国カタールとの外交問題にまで発展しつつある。
 事の発端は、1997年1月30日、政府の売春取締班(BRP)による摘発だった。四ヶ月にわたる捜査を経て、パリ検察局のンギュイエン判事(N'Guyen)は、スウェーデン系の元モデルとカメラマン、そして仲立ちをおこなっていたレバノン人ビジネスマンの三人を逮捕した。
 この時点では、当局はごく普通の売春組織を摘発しただけ、という認識だったようだ。パリには現在約七千人の売春婦(最近は売春夫が少なくない)がおり、フランス全土の「売春市場」は年間で100億フラン(約2,000億円)に達していると見積もられている。凱旋門近辺のフォッシュ通り、ビクトル・ユーゴ通りあたりでは、月に10万フラン(約200万円)以上を稼ぐ者もいる。
 かつてはヒモが街角で客を探していた。それがだんだんとビジネスマンのような仕事ぶりとなり、自分たちの「商品」をカタログにし、バカンスシーズンには南仏で配ったりもした。そして現代のヒモたちはミニテル(フランス独自のネットワーク情報サービス、約700万人が利用)やインターネットを利用する。

高級コールガール組織

 BRPに逮捕された売春斡旋組織首謀者のアニカ・ブルマーク容疑者は、高級コールガール組織の元締めとしては典型的なキャリアの持ち主だった。良家の娘として生まれ、モデルやブティック店員として働いたのち、自らコールガールとなる。その間に人脈を広げ、やがてコールガールを斡旋する企業を設立する。お値段の方は3,000〜50,000フラン(約6〜100万円)。
 彼女の相棒となり、モデルをコールガールとして仕立て上げる役を担ったのが、男性誌「Lui」や「Newlook」などで活動していたカメラマンのジャン=ピエール・ブルジョワ容疑者である。彼はモデルたちをひきつれ、プライベートな場へと出入りする。
 捜査官によれば、モデルたちの多くはあらかじめ売春に「同意」していたらしい。それ以外の者については、ファッション誌や映画への出演をエサにして呼び寄せたようである。そのような目にあった者の一部は、強姦写真を撮られたとしてこのカメラマンを告訴している。
 コールガールにされた女性たちは、パリのホテルだけでなく、モナコ、ロンドン、ニューヨークにも遣された。そこで客となった大富豪のなかには、一晩の行為に20,000フラン(約40万円)のチップを払う者もいたという。
 自称「サウジアラビア王子の秘書」でレバノン人のナジ・アル・ラドキ容疑者は、約二〇年間、サウジアラビア王の側近として仕えていた語っている。そして彼の口から、著名な人物たちの名前が顧客として挙がる。
 ンギュイエン判事の捜査過程で、カタールの元首長やフランス政府からレジオンドヌール勲章まで授与された高名なレバノン人外交官の名前が浮かんだ。ブルジョワ容疑者にモデルとして勧誘された一六歳のスウェーデン人の少女は、このアラブの富豪にヨット内で暴行を受けたとして告訴をしている。

大物顧客たち

 カンヌ在住のアラン・メイヤー氏は、サウジアラビア王家がフランスに滞在するときの専属医師であった。彼の弁護人ツィンマーマン氏は、メイヤー医師はあくまで王室の家族の健康管理をおこなっていただけであると説明しているが、ンギュイエン判事は医師が若い女性を対象に、エイズや梅毒の検査をおこなっていたことをつきとめている。これは売春のための検査ではないかと目されている。
 捜査はやがて、フランス大統領府テロ対策室の元メンバーであったポール・バリル元憲兵隊大尉におよぶ。彼は警備会社を経営し、フランスに滞在することが多かったカタール首長の身辺警備の任にあたっていた。モロッコ人売春婦の一人は、バリル元大尉に連れてこられたと証言している。彼の元運転士や元ボディーガードもそれを裏付ける証言をおこなっている。そしてBRPの捜査官はバリル元大尉の滞在先を家宅捜査し、今年の6月10日には事情聴取をおこなった。
 一連の捜査結果に対し、バリル元大尉は次のように反論し、斡旋容疑を全面的に否認している。 「これはまったくの陰謀だ。もしも売春がおこなわれていたのなら、内務省の警官も疑うべきだ。彼らもカタール首長の警備をおこなっていたのだから」
 フランスとカタールとは、防衛協力の関係にあり、カタールの軍備の70パーセントはフランス製である。先のデンバーサミットでは、欧州と米国とでアフリカ政策やNATO拡大路線で対立が生じたが、その背景には兵器市場をめぐるフランス系企業とアメリカ系企業との対立があるともいわれている。
 執拗な捜査や取材に抗議するようにして、カタール元首長は約六ヶ月ものあいだ滞在していたクリヨン・ホテルを後にした。

注:この事件に関しては、L'EVENEMENT DU JEUDI, no.659, 1997.6.19-25およびle nouvel Observateur, no.1702, 1997.6.19-25に詳細な記事が掲載されている。

図版:ミニテルで「交際」を呼びかけるページ


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