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インターナショナルFEEL
PS FEEL(未来電子環境研究所/発行)vol.29(1997年10月25日)p.12掲載
江下雅之

通過儀礼もほどほどに

 9月も第三週に入って急に肌寒くなったパリであるが、ぼちぼち学生たちの恒例「行事」が始まる時期にもなった。
 13日の土曜、たまたま用があってサン・ミッシェル広場の横を通り過ぎたときのこと。この界隈は日本でいえば御茶ノ水のようなところで、学生向けの書店が多い。交差点に面した広場は待ち合わせ場所によく使われる。そしてこの日、渋谷のハチ公前の半分ぐらいしかないスペースに、学生たちがひしめきあっていた。
 そのうちの何人かは本を掲げている。特別な集会ではない。学校のテキストを売る「先輩」と、それを買おうとする新入生たちの集団なのだ。
 数年前のおなじく9月、このサン・ミッシェル界隈にあるGivert Jauneという書店に入ったとき、エスカレーターの降り口にいた書店員から、いきなり
「Vendez vos livres?」
 と尋ねられた。「本をお売りになりますか?」という意味なのだが、こちらは本を買いに来たのである。国は違っても書店が本を売る基本はおなじはず。一瞬、「Vendez」という動詞には、能動型でも使い方によって「買う」という意味になるのかと思ってしまった。
 あとでわかったことだが、この書店、新刊書だけでなく古書も扱っている。そして9月になると、学生たちが使い終わったテキストや参考文献を売りに来る。件の書店員は、ぼくがそういう目的で来店したのかどうかを確認したかったわけだ。
 経済観念の発達したフランスの学生たちは、本を綺麗に使って、いらなくなったらマメにこうした書店で処分する。もちろん買う方も安い古書を探す。そしてさらに経済観念の発達した学生たちは、書店に売るのではなく、書店の前に立って、古書を買いに来た新入生に直接売ろうとする。そのほうが、売る方も買う方もトクなのは自明だ。サン・ミッシェル広場で見かけた光景は、「売り」「買い」の学生たちがひしめきあった姿だったわけだ。
 フランスは幼稚園から大学にいたるまで、新学期は9月から始まる。大学の新入学生たちは、夏休み前にバカロレアという全国共通の大学入学資格試験を受け、それに合格すれば、基本的にどの大学も自由に入学できる。もっとも、実際にはきっちりとした定員のある学部もあり、こうしたところは先着順が原則だ。そして申し込みはミニテルというビデオテックス端末(日本のキャプテン・サービスとおなじもの。フランスでは600万端末が普及している)からおこなえるところもあるのだが、一昨年、とある大学の医学部では、受付開始からほんの2分で定員に達してしまったという。全員入学とはいっても、学部によっても大学によっても人気の濃淡はある。
 全員入学というと受験地獄とは無縁で万事めでたいように感じる人が多いかもしれないが、学生の集中する大学では、深刻な設備難におちいっている。9月のサン・ミッシェル広場のような光景がひとつの風物詩なら、10月に繰り広げられる学生デモも恒例行事化しているといっていい。抗議のお題目は、「授業には教室を!」「もっとまともな設備を!」だ。
 実際、伝統あるパリ大学などはとくにひどい。文学部のあるパリ第4大学(通称ソルボンヌ大学)では、床がボロボロになって土が露出している教室がいくつもある。いや、そんな教室でも確保できればまだいい。新入生が多いといっても、卒業するのはほんの一部なので、教室のキャパシティは当然ながら学生数よりも相当少ない。学期始めには席に座れないことはザラだし、教師間の教室取りも熾烈である。ダブルブッキングされた教室の前で、どちらが優先権を持っているかを興奮しながら議論する教師たちもいる。
 理工学部のあるパリ第6大学は、建物にアスベストが使われていたため、政府は使用禁止措置を打ち出した。しかし慢性的な財政難のため、その代替校舎建設のメドが立っていない。経済学部のあるパリ第9大学に至っては、校舎の一部がほとんど廃虚のような状態になっている。また、どの大学でもなぜかトイレの便座カバーはほとんどもぎ取られたままだ。「大」のときは中腰スタイルである。
 フランスには大学とはべつに、グランゼコールという高等教育システムがある。もともとはナポレオンが設立した理工高等専門学校(エコール・ポリテクニック)から始まった制度だが、いまでは大小200校近くがある。ちなみに数理物理学者のポアンカレ、フラクタル理論で有名なマンデルブローらはポリテクニックの出身だ。そしてここの在校生たちは、7月14日の革命記念日(いわゆるパリ祭)の軍事パレードでは行列の先頭を行進する、という特権を持っている。
 グランゼコールの入学には、日本の大学よりもはるかに厳しい選抜試験がある。ポンピドー政権以降の歴代大統領、歴代首相のほとんどは、国立行政学院というグランゼコール出身だが、ここは難関中の難関といわれている。
 新入学生の数が限定されているグランゼコールは、大学にくらべてはるかに設備に恵まれている。学生一人あたりの教官数も大学よりも多い。卒業生の就職の条件も初任給もこちらの方が上だ。そしてグランゼコールと大学とは、学校側の目的や方針、志願する学生の目標などが、それなりに棲み分けられている。
 ところで、大学、グランゼコールにかぎらず、新入生にはひとつの「儀式」が待ち受けている。その度合いは、一般に歴史のある学校ほど「壮絶」だ。
 9月末から10月にかけて、パリの繁華街やメトロの大きな駅などに、青いポリ袋をすっぽりとかぶり、顔にはペイントをほどこした男女が、あめ玉やらトイレットペーパーの切れ端を売っている姿を目にできる。いずれも新入生たちだ。彼らは上級生から一定の売上ノルマを課せられる。
 なかには噴水に飛び込むグループ、エスカレーターを逆走するグループ、教会の前で横一列に並んで腕立て伏せをするグループ等々。
 これらは一般に「bizutage(ビジュタージュ)」といわれる新入生歓迎の儀式であり、当事者にしてみれば、大学生として認められるための通過儀礼になっている。
 ところがこのビジュタージュ、年々エスカレートする一方で、これのせいで精神状態がおかしくなったり、極端な場合、自殺までする新入生が出てきた。去る9月5日、極端なビジュタージュを防止する条項も含めた法案が閣議決定された。違反者には六カ月の禁固と五万フランの罰金が科されるという。
 上にあげた例は相当おとなしい部類で、なかには男女一組を素っ裸にして抱き合わせ、そのうえを包帯でぐるぐる巻きにして一晩教会の前で寝かせたり、あるいは女子大生にしこたまワインを飲ませて酔わせて相当きわどいことまでさせる例もあったという。ここ数年はリセ(高校)でもビジュタージュが過熱気味だ。
 こうした行き過ぎに対しては法案提出以前から批判的な意見がある。それでもパリだけでなく大学のある街では、新入学シーズンになると、あちこちで様々な狂態が演じられている。それを眺めるオトナたちの表情はどこか懐かしげで、「自分たちもそうだったなぁ、今年もそんな季節か」とでもいいたげな雰囲気がある。
(おわり)

新入学シーズンになると、教科書を求める新入生たちは書店に……ではなく、大書店ジベールのあるサン・ミッシェル広場に向かう。そこでは上級生たちが「店」を広げ、自分たちが使っていた古本を売るのだ。 この写真はパリの名門リセのひとつアンリー四世校の正門。フランスの高等教育制度は日本より厳しい面があり、このリセではエリートたちが名門グランゼコールの受験準備に励んでいる。この高校は、ナタリー・ドロン主演の映画『個人教授』で恋人役が通っている設定となっていた。 ソルボンヌの中庭から撮った時計台。校舎に入るためには警備員に身分証明書を提示しなければいけないが、中庭にはフリーで入れる。そして中庭から講堂方面の扉をくぐれば、そのまま校舎にも入れてしまうのだが。

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