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連載コラム 多面鏡[1998年12月5日執筆]
「France News Digest」(France News Digest/発行)
江下雅之

交差点のジレンマ

 フランス式の個人主義とは、よくいえば他人の干渉を受けずに自分で行動を決めることであるし、悪くいえば他人のことを省みずに暴走することでもある。そして日本式の協調主義は、よくいえば他人に配慮して行動するが、悪くいえば、自分の意志だけでは、なかなか踏み切れない。もちろん以上はおおまかな傾向であって、個人レベルでは例外はいくらでもあろう。
 とはいえ、いずれの傾向であっても、様々な社会的ストレスを発生させる。それを直感的に理解するために、「交差点のジレンマ」というモデルを考えたことがある。四方から車がひしめく交差点で、突然信号が消滅してしまったとしよう。フランス式個人主義のドライバーばかりであれば、誰もが交差点に殺到する。先頭にいる者がもたつけば、後ろにいる者はクラクションを鳴らして煽るか、あるいは勝手に追い越していくだろう。結果、交差点は身動きが取れなくなってしまう。かといって、日本式協調主義がうまくいわけでもない。ドライバーがみな譲り合い、相手の出方をうかがっていたら、誰も交差点に侵入できない。結果、交差点はガラガラでも、交通は閉塞する。フランス式でも日本式でも、交差点でジレンマが発生する事態にかわりはない。
 もちろん、このモデルはかなり類型的な見方である。とはいえ、社会の規制という場面では、そういう前提を読み取れる。フランス社会では、原則何をやっても構わないという前提の上で、禁止事項を規制にかけるという側面が見られる。交差点のモデルでいえば、侵入してはいけない車をストップさせる。「やってはいけないとは言われていない」とは、フランス人が随所で行って見せる反論である。反対に、原則何もやってはいけないという前提で、許可事項を決めるのが日本的といえるのではないか。交差点のジレンマ的な状況では、「やっていいとは言われていない」という弁解が出てくるはずである。規制とはいっても、前提の違いによってニュアンスは全く異なるものなのである。


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